芸能生活40周年を迎えた野々村真(57才)。ドラマデビュー秘話、新型コロナウイルス感染後の家族への思い、坂上忍(54才)との関係性、そして2022年の抱負とは──。コラムニストで放送作家の山田美保子さんが聞いた。
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初ドラマ出演で5時間の遅刻をして監督が大激怒
山田:今年は芸能生活40周年のメモリアルイヤーだとうかがいました。おめでとうございます!
野々村:ありがとうございます……と言いたいところなんですが、あんまり、そこを立たせないでいただけませんか? 40年もやっていたら、本来なら確固とした芸をもって、立派にやってないとダメじゃないですか。でも恐らくぼくは「40周年なのに、これ?」っていうふうに世間から思われているだろうし、皆さんにツッコまれてナンボだと自分でもわかっているし。大御所扱いされちゃったらキャラが死んじゃいますから(笑い)。
山田:でも(所属する)「スターダストプロモーション」さんでは、いちばんの古株ですよね?
野々村:先輩がたが辞められてしまったので、確かにぼくがいちばん古くなってしまいましたね。昔はよく「ウチの事務所、風が吹いたら倒れちゃうよね」なんて話もしたんですよ。でも後から、どんどんすごい俳優さんや女優さんが入ってこられて、ここまで大きくなりました。ぼくは“ダスト”組です!と自分でよく話しますが、ぼくはこれからもダスト部門を守っていきます(笑い)。
山田:真サンが40周年ということは、1982年にスタートした“いいとも”(『森田一義アワー笑っていいとも!』〈フジテレビ系〉)も40年!
先日、あるランキングで「いちばん好きな“いいとも青年隊”は?」というのをやっていて当然、真サンがいた1期生が1位かと思っていたら、最後を務めたnoon boyz(真田佑馬クン・29才、野澤祐樹クン・29才)が1位で1期の真サンたちは2位でした。
野々村:そりゃあ、ジャニーズさんにはかないませんよ(苦笑)。でも、1982年の10月から1985年の3月末まで出させていただいた『笑っていいとも!』での約2年半は、バラエティーの基礎を学んだ貴重な日々でした。ドラマをやるようになったのは、“いいとも”を卒業した20才を過ぎたあたりです。初めて出たのは伊藤かずえチャン(55)が主演した『ポニーテールはふり向かない』(大映テレビ制作・TBS系)。忘れもしませんよ。ぼく、最初のロケに、いきなり5時間も遅刻しちゃったんです。言い訳ですが、マネジャーもぼくも、それまで(『笑っていいとも!』のスタジオがあった)「新宿アルタ」と家の往復しかしてこなかったもので、当時、ドラマ班がよくロケの集合場所として利用していた「渋谷パンテオン」も(世田谷区)成城の「ケンタッキーフライドチキン」もまったく知らなくって。クルマでグルグル回っているうちに、みんなが乗るバスが出発しちゃって、ロケ隊は横須賀へ。やっと到着したと思ったら5時間もの大遅刻です。
当然、監督は大激怒でマネジャーと2人で正座モノでした。しかもぼくは7話からの参加で、キャストの伊藤かずえチャンをはじめ、松村雄基サン(58才)や鶴見辰吾サン(57才)、国広富之サン(68才)ら、大映テレビの常連の役者さんやスタッフの人間関係はすでに出来上がっていた。そこに遅刻してきた上にNGを出しまくったぼくの居場所なんかがあるハズがありませんよね。ほかのみんながお弁当を食べる昼休憩のときも「お前はせりふ、覚えとけ、バカヤロー」と監督にまた怒られて、午後はもう絶対にNGは出せないと思って、撮影スタジオ脇の簡易トイレにこもって、中で懸命にせりふを覚えていたんです。どれだけ緊張していたかという証拠に、ぼくの震えで簡易トイレがガタガタ揺れたんですから、地震でもないのに。そこに通りかかったのが、その作品のキャストの中でも一匹狼的存在だった“しーちゃん”(=坂上忍サン)だったんです。
「気になって(簡易トイレの扉を)開けたら、まこちゃんが震えながらせりふを覚えていた。遅刻して迷惑をかけたのは事実だけど、これではあまりにもかわいそう」ということで、それからずっと話し相手になってくれたんです。
山田:真サンと坂上忍サンのやりとりは、『バイキング』でも『バイキングMORE』(ともにフジテレビ系)でも、その関係性を知っている人たちにとっては本当に楽しいものです。でも視聴者の中には、坂上サンから真サンがいじめられているように勘違いしているかたも少なくありません。
野々村:そんなことは、これっぽっちもありません! ほかの出演者さんや専門家の皆さんとのやりとりが一通り終わって、しーちゃんがぼくで落とそうとするのは、ある意味“お約束”ですから。ぼくは楽しく一生懸命参加させてもらっていますから、それが伝わればうれしいです。