かつて「ブログの女王」と呼ばれて注目を浴びたタレントの眞鍋かをりさんが、日記のもつ意味について語った。眞鍋さんが感銘を受けたのが『ママがもうこの世界にいなくても』という本。21才で大腸がんステージⅣの宣告を受け2021年9月、約3年間の闘病の末、亡くなった遠藤和(のどか)さん(享年24)が1才の娘のために綴った日記をまとめたものだ。眞鍋さんはどう読んだのか――。
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コロナ禍で、20年ぶりに日記に挑戦してみました。でも、すぐには書けなかった。ブログとは全然違いますね。ブログは他人に読まれる前提で書いているので、面白くするための演出も入るし、自分の心の内をさらけ出す場所ではなかった。だから、それほど逡巡することなく書けたのかもしれません。でも、誰にも見せない日記では、自然と、私の本当の気持ちと向き合うことになる。日記を書くことで楽になるという人もいますが、私の場合は、不安や嫌な出来事からは目を逸らしたいという思いが強く、日記にすら本心を隠して強がってしまうところがありました。自分の心を直視するのは、こんなにも勇気が要ることなのだと思い知らされました。
和さんは、どのような思いで日記を書いていたのでしょうか。本当のところはご本人にしかわからないことですが、読んでいて少し気になったのが「余命は統計。私は大丈夫。」といった、前向きな言葉の数々です。彼女の日記は、あっけからんとしている部分もありますが、つらいからこそ、わざと前向きに綴ることで自分を鼓舞していたのかもしれない。私も昔、日記に「こんなことがあったけれど、大丈夫」という書き方をしたことがあります。本当は大丈夫じゃなかったかもしれない。だけど、そうすることで不思議と大丈夫だと思えて、精神的に自分を保つことができた。前向きに書いたことが良い形で現実になったことも何度かあります。言霊(ことだま)って、本当にあるのかもしれないな、と感じています。
自分がもし和さんと同じような状況に置かれたら、やはり私も娘に遺すために日記を書くだろうと思います。ひとりの女性として伝えてあげられることは伝えておいてあげたい。母が何を考え、どんなことをしていたのかが記された日記は、娘にとって最高の道しるべになると思います。今も、何か娘に何か教えるときは「◯◯しなさい!」と頭ごなしに言うのではなく、自分が子供の頃の話や失敗談などを話して聞かせるようにしています。そうすると、スッと腑に落ちたような感じで、納得してくれるんですよね。「ママはこうやって遊んでて大怪我したんだよ、だから気をつけてね」とか「好きな男の子には笑顔で話しかけないと気づいてもらえないよ」とか(笑)。効果は抜群ですが、子供の頃の記憶は消えていってしまうものだし、私の記憶も歳のせいかどんどん薄くなっていってる気がするので、いまのうちに日記という形で残しておいたほうがいいかもしれません。