先ほどご家族の総合力について言及しましたが、和さんが終末期を在宅で過ごすことができたのは、夫の将一さんだけでなく、妹の遥さんをはじめご実家が割いた多大な時間と労力に負うところが大きい。和さんの日記の後に続く遥さんの記録を見れば、ご家族が払った時間的、肉体的、金銭的コストがどれだけのものだったのか、肌で感じてもらえるはずです。
和さんはご家族の支えがあったとはいえ、AYA世代(15歳~39歳)のがん患者さんが在宅療養する際に、介護保険が使えないのは、喫緊の課題です。40歳以上であれば訪問介護サービス、訪問入浴サービス、介護用ベッドの貸与など、在宅療養に不可欠なサービスが最大でも3割の自己負担で利用できるのに、AYA世代には適用されない。
もちろん、介護保険の支払いが始まるのが40歳からだからという財政上の理屈はわかります。それでも「健康で文化的な最低限度の生活」を保障する憲法があり、もし介護保険を適用としたとしても、そのサービスを利用するのはさほど多くない人数だけなのですから、大変な局面にぶつかっている方々への支援を、単純に年齢だけで区切るのはあまりに酷ではないでしょうか。AYA世代への介護保険の適用については、社会全体の問題として議論を開始すべきです。現状では、地方自治体ごとに独自の助成制度が設けられているだけなので、地域格差が目立ちます。
本書は、もし身近にがん患者さんがいた場合に周囲の者がどのように振舞うべきかという示唆も与えてくれます。象徴的なのが、《何年も連絡をとっていなかった友達から、突然、LINE。ものすごく腹が立ってしまった。急に連絡してきて「会いたいから会って」は自分勝手すぎじゃない? 私が会いたいと思っているかどうかは二の次。死ぬ前に会っておきたい、とか思ったんでしょ》という部分です。
和さんが知人に怒りを覚えたのは、《私が会いたいと思っているかどうかは二の次》だったからでしょう。がん患者さんに対するときに、周囲の者が自覚しておかねばならないのは、ほとんどこの一点に尽きます。よかれと思って「私が何かをしてあげる」ではなく、「あなたが求めたこと」だけをする。主語を間違ってはいけません。
「(がんで)苦しい」と言われたとき、自分の気持ちを満足させたい人は「がんに効く(と称する)何か」を持ってきて、患者さんにプレゼントするかもしれません。けれど、患者さんは「苦しい」と言っているだけで、「苦しいから、何とかしてくれ」とは頼んでいない。ただ「苦しい」という話を聞いてもらいたいだけかもしれません。かといって腫れ物に触るように離れていって、本人を孤独にすべきでもない。見守る、そして声をかけられる距離にいる。求められたら、それを成すのもよいでしょう。「いま、誰のためにやっていることなのか」を常に考え続けることが大切です。
【プロフィール】西智弘(にし・ともひろ)/2005年北海道大学卒。日本臨床腫瘍学会がん薬物療法専門医。室蘭日鋼記念病院で家庭医療を中心に初期研修後、2007年から川崎市立井田病院で総合内科/緩和ケアを研修。その後2009年から栃木県立がんセンターにて腫瘍内科を研修。2012年から現職。現在は抗がん剤治療を中心に、緩和ケアチームや在宅診療にも関わる。また一方で、一般社団法人プラスケアを2017年に立ち上げ代表理事に就任。「暮らしの保健室」の運営を中心に、地域での活動に取り組む。著書に『緩和ケアの壁にぶつかったら読む本』(中外医学社)、『「残された時間」を告げるとき』(青海社)がある。