21才で大腸がんステージIVの宣告を受け、22才で結婚、23才で娘を出産。2021年9月、24才で亡くなった遠藤和(のどか)さんが1才の娘のために綴った日記をまとめた『ママがもうこの世界にいなくても』が話題を呼んでいる。川崎市立井田病院に勤める腫瘍内科医で緩和ケア専門家の西智弘さんは「和さんのご家族の総合力は見事だった」と語る。(前後編の後編。前編は【緩和ケア専門医「ステージIVのママの“余命感覚”に考えさせられた」】)
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『ママがもうこの世界にいなくても』は稀に見る闘病記です。なぜなら、がん闘病が大きなテーマであるのに、医師がほとんど登場しません。これは珍しいことです。
医療者の存在感の希薄さは、そのまま、和さんが「自分の選択した人生を生きた」ことを如実に表しています。多くの闘病記では、医師の存在が大きく描かれ、医療者に治療内容から生活の指針、気持ちの持ちようまで導かれます。しかし、同書では、医師の助けはそこそこに、和さんは自分の選択を最優先に置いています。
それを可能にしたのは夫の将一さん、和さんの妹の遥さん、青森から東京に引っ越してまで夫婦を助けた和さんの実家の櫛引(くしびき)家といった家族の総合力ですが、もうひとつ、いわゆるステージIVのがん患者さんの多くが避けられない「役割の喪失」という危機を、夫婦の力で乗り越えたことも大きいと感じました。
腫瘍内科医、緩和ケア医として講演する際、私はしばしば「喪失体験ゲーム」をおこないます。別の医療者の方が使っているのを見て有効な手段だと感じ、自分なりにアレンジしたものです。 ルールは以下の通りです。
白紙のカードを聴講者ひとりにつき5枚配り、そこに「家族」、「友達」、「お金」、「生きがい」、「役割」と書いてもらいます。それから、私といっせいにじゃんけんをして、「負け」か「あいこ」の場合は、その5枚のカードの中からどれか1枚、「自分が失ってもかまわないと思うもの」を破り捨ててもらうのです。
このゲームをやると、多くの人が最初に「役割」のカードを捨てます。「家族」や「友達」のカードと比べ、その大切さを具体的にイメージしにくいからだと思うのですが、じつは「役割」のカードは、ほかのカードの「価値の有効性」までも支える、とても大切なものなのです。
たとえば、「家族」。人は誰でも、父親や母親、あるいは彼らの子供、兄弟であるという「役割」によってこそ、家族に帰属している実感を持つことができます。それは「友達」でも同じですね。自分が「友達」の中にいるとき、そこではお調子者なのか、リーダー的な立場なのか、世話焼きなのか、ともかく自分の「役割」があるはずです。
がんの進行が進んだとき、少なからぬ患者さんが体力の低下や入院などによって「自分の役割」を失ってしまうことに、ショックを受けます。しかし、和さんの場合は、むしろがん患者になってから、「妻」という役割、「母親」という役割を自覚的に獲得したように読めました。
大腸がんが発覚してから妊娠、出産を選んだ和さんと将一さんに対して、一部から心ない言葉が飛び交ったことには憤りを感じます。「子供がかわいそう」。とんでもない言いぐさですね。母親がいないことについて語り得るのは、ほかでもない和さんのお子さんだけです。当事者である娘さん以外には、誰も何も言う権利はありません。