1967年10月2日深夜1時にスタートした、ニッポン放送のラジオ深夜番組『オールナイトニッポン』(以下『ANN』)。数々の社会現象を巻き起こしたこの怪物番組が、今年放送開始55周年を迎える。1969年に『ANN』のパーソナリティーに就任した亀渕昭信さんに、当時を振り返ってもらった。
コンセプトは「孤独な若者の拠りどころ」
「あれはぼくが27才のときでした。上司から“カメ、しゃべりがおもしろいからちょっとしゃべってみろ”とマイクの前に座らされたことから、『亀渕昭信のオールナイトニッポン』は始まりました」(亀渕さん・以下同)
放送開始当時は、若者向けの深夜ラジオ番組がほとんどなく、前例がないということで予算も限られていた。そのため、初期のパーソナリティーは全員、社員だったという。
「あの頃は、受験戦争が激化。深夜まで勉強をしている人が多かった。『ANN』はそんな若者をターゲットにした日本で最初の生ワイド番組。“孤独な若い人々が集まる場所”がコンセプトでした」
当時のラジオはニュースをはじめ、演芸や演歌など、大人向けの番組がほとんど。そこに登場したこの新しい番組は、「です・ます」調で話す放送が主流だった時代に、友達口調のいわゆる“タメ語”で、テンポよくしゃべった。これはかなり斬新な試みだったという。
当時のラジオはイヤホンで聴いているリスナーが多かった。そのため、親でも先生でもない“大人”が、自分だけに親しげに語り掛けてくれるような錯覚に陥った若者も多かったのだろう。あっという間に若者の心をとらえ、10代からのはがきが殺到。そこには、曲のリクエストだけでなく、将来や人間関係、恋の悩み、社会への怒りや悲しみなども綴られていた。亀渕さんたちはそのすべてに目を通し、答えていったという。
社員なのにファンクラブ結成、レコードも発売
亀渕さんたちパーソナリティーはその後、放送局の一社員にすぎないにもかかわらず、ファンクラブが結成されるほどの人気を得た。特に亀渕さんは、同期入社のアナウンサー・斉藤安弘さんと「カメ&アンコー」というコンビを結成。1969年に『水虫の唄』というレコードを出すと21万枚の大ヒットを記録した。常識破りの伝説はすでにこのときから始まっていたといえる。