目前に迫った北京五輪で日本選手の活躍が期待されるフィギュアスケート。4回転などジャンプの「高難度化」が進んだことで、とくに女子では「低年齢化」が進んでいる。しかし歴史を振り返れば、日本人女子では2人目となる世界チャンピオンに輝いたのち、引退後はプロフィギュアスケーターとして、その滑りを進化し続けてきた人がいる。佐藤有香さん。演技者のみならず、解説者、コーチ、振付師、アイスショーのディレクターとして、国内外のフィギュアスケート界を様々な側面からけん引してきた。なぜ有香さんは長く滑り続けられるのか。北京五輪を前に『スケートと歩む人生』(KADOKAWA)を上梓した佐藤有香さんに、これまでの歩みとフィギュアスケートの未来について聞いた。
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滑っているときがいちばん満たされる
──オリンピックに2度出場し、世界チャンピオンに輝いたトップ選手として。25年間のプロスケーターとして。解説者、コーチ、振付師として。さまざまな形で活躍されていますので、ファンによって有香さん(と呼ばせていただきます)のイメージは異なるかもしれません。フィギュアスケーターの活躍の幅は広がっていますが、有香さんほど多岐にわたって、長く活躍されている人は少ないと思います。
佐藤:私がいちばん満たされるのは、自分が滑っているときです。それからアイスショーのディレクションをしているとき。現場であくせく働いているときが、満たされているときなのかなと。ただ、子どもの頃からコーチという仕事を間近に見て育ちましたから(父・佐藤信夫コーチ、母・佐藤久美子コーチ)、コーチという仕事には自然に入っていけたと思います。
──現在はアメリカのデトロイトを拠点にコーチをされている有香さん。フィギュアスケートにのめり込んだきっかけは、競技よりも、アイスショーへの憧れだったんですね。
佐藤:あのキラキラした世界に憧れて、自分もあそこに行きたいという夢を抱きました。そこに行き着く過程として、競技会に出たり、選手として頑張ったという感じです。
──世界チャンピオンに輝いた1994年の演技をよく覚えています。美しいスケーティングに裏打ちされた疾走感あふれる演技に、スタンディングオベーションが止まらなかった。その直前のリレハンメル・オリンピックで力を出し切れず、次は「勝ちに行く」という意識で臨んだ大会だったと本で明かしています。その後の活躍にとって、世界チャンピオンという結果は大きかったですか?
佐藤:あの大会から30年近くたつんですが、今も自分の体のなかに鮮明な記憶が残っています。一瞬ずつ覚えているというんですかね。とくにフリースケーティングは、準備の段階から、公式練習、本番と、非常に鮮明な記憶があります。優勝したことに関しては、確かにそのあとにつながるキーになりました。ですが、自分自身としては、あまりこだわりはないんです。