1967年に放送が開始し、今年で55周年を迎えるニッポン放送のラジオ深夜番組『オールナイトニッポン』(以下『ANN』)。1973年以降は、深夜1~3時を1部、3~5時を2部とする2部制になった。そして、1982年から4年間、『ANN』の“2部の顔”として最高聴取率をマークしたのが、シンガーソングライターの谷山浩子だ。本人は、
「私はしゃべるのもコンサートも苦手でした。だから、マイクの前に座ったときの緊張感はいまでも覚えています。私に務まるのか不安でした」
と、当時を振り返る。放送初回に届いたはがきは数十枚程度。それを夢中でただ読むうちに終わった。
「トラックの運転手さんや夜勤の人も聴いているだろうから、声が通るようにワントーン高い声を出すよう意識して話しました。すると、初回放送の後、巨大な紙袋に入り切らないほどのはがきが届いたんです。うれしかったですね」(谷山・以下同)
2回目の放送は、1回目の反省から、話す内容を決めて放送に挑んだ。ところが──。
「少しもおもしろくなかったんです。構成作家の寺崎要さんから“生放送なんだから、何も準備しないで。きっちり決めたらつまらない”と言われました。だからそれ以降は、台本もなく、ぶっつけ本番で挑んでいましたね」
谷山がスタッフにいじられ、困惑するライブ感もリスナーのハートをつかんだ。
「声はかわいいのに容姿は……なんていじられたり(笑い)。いまでは考えられませんよね。回を重ねるごとに、“私はリスナーさんに遊んでもらっているんだな”という感覚が生まれました。スタジオにいても、リスナーとの一体感を感じていました」
谷山の趣味のコーナーも人気を博す。
「『マンガ予告編』というコーナーは、私が発売中の漫画雑誌の一部を読み上げ、それをリスナーが当てるというもの。これは、私が漫画が好きだったので始めたコーナーでした」
当時、漫画は『ガラスの仮面』『ドラゴンボール』などが話題だったが、マイナーな漫画誌も取り上げた。この時代の深夜放送は“何でもアリ”という開放的な雰囲気があったせいか、こういったマニアックな話題がリスナーの心をつかんだようだ。また、こんなことも。
「私の誕生日の回では、リスナーからのプレゼントをひたすら開けていました。ガサガサという包装紙を開く音と、中身の説明、ラジオネームを2時間放送しただけなのに大反響でした」