釈然としない判断が続く今日この頃である。コラムニストの石原壮一郎氏が例の布マスクについて考察した。
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誰が考えても、まとめて廃棄するのが賢明な選択です。令和を代表する愚策と言っても過言ではない「アベノマスク」は、どこまで失敗を重ね続ければ気が済むのでしょうか。お役所が頭をひねればひねるほど、見ている側が首をひねる事態が重なっていきます。
8000万枚を超える大量の在庫があるという「アベノマスク」。保管費用は去年3月までで6億円と報じられました。それから約1年が経ち、保管費用のトータルは単純計算で軽く10億円を超えているでしょう。去年の暮れに岸田首相が「年度末を目途に廃棄する」という方針を立てたのは、いろいろしがらみもある中で勇気ある決断でした。
しかし、そこからまた迷走が始まります。「廃棄する前に希望する自治体や個人に配布します」としたばっかりに、厚生労働省は余計な仕事が増えてしまいました。欲しいという応募がたくさんあったのは何よりですが、希望者への配送料が10億円に上るという試算が発表されます。そのまま捨てれば6000万円ぐらいで済むらしいのに。
「ただならもらってもいい」ぐらいの気持ちなのか面白半分なのか作った人への忖度なのか、申し込んだ側の動機はわかりません。それはさておき、このままだと感染防止には役に立たないと烙印が押されているマスクに、また10億円が費やされてしまいます。
なぜ政府は「ごちゃごちゃやってないで一括廃棄」という決断ができないのか。いや、政府に限らず、あちこちの役所や会社や家庭でも、この手の不合理な選択が繰り返されています。呆れた判断をしてしまうのは、けっして他人ごとではありません。「アベノマスクの一括廃棄」を決断できない背景には「3つの病」が潜んでいます。
もっとも根深いのは「批判に怯えるという病」。担当者だって組織の偉い人だって、さっさと廃棄したほうがいいことはわかっていたはず。しかし、廃棄すると言ったら、たちまち「ものを無駄にするな!」「税金で作ったものを捨てるとは何事だ!」という批判が大量に集まるでしょう。こっそり保管しておくマイナスは目に見えづらいですが、批判ははっきり見えてしまいます。
そこに重なってくるのが「責任を取りたくないという病」。余分なコストがかかっても自分は責任を取る必要がない立場だけど、批判を受けたら自分の責任になる。そういう状況で、批判をはねのけて総合的にメリットが大きい選択をできる人は、まずいません。おそらく当事者は、迷った末に苦渋の選択をしている訳ではなく、息を吸って吐くように批判を受けない方法、責任を取らずに済む方法を選んでいるでしょう。
災害が起きたとき、避難所に集まった人たちがお腹をすかせているのに、届けられた弁当やおにぎりが配られないという事態がしばしば起きます。理由は「全員に平等に配るためには数が足りないから」。そのまま賞味期限が過ぎてしまったケースもあったとか。これも「批判に怯えるという病」と「責任を取りたくないという病」が骨身に染み付いているが故の愚行です。目に見えやすい批判や責任しか頭にないのでしょう。