作家としてはもちろんだが、これほどまでに「自分の言葉」を持っていた政治家はいまい。数々の過激発言で物議を醸した石原慎太郎氏が2月1日に亡くなった(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。本誌・週刊ポストにだけ語っていた「金言」「暴論」を振り返る。
* * *
1968年の参院選で自民党から出馬し、史上最多(当時)の300万票を得て初当選した石原氏は、政治家として歯に衣着せぬ言動で注目を集めた。1971年に38歳で本誌に初登場した際も、弁舌が冴えわたった。
「派閥次元で中国問題を考えているんですからね。それが党内の溝をふかめ、政局は混乱する。それぞれ本当に熱心に国をまもるために論争しているかというと、そうじゃない。みんな、次元の低い政治的な利益をとげるために物をいっている」(週刊ポスト1971年9月24日号掲載)
中国とどう対峙するかをめぐる自民党内の議論に嫌気が差し、自らの政治理念を実現するために衆議院議員への転身を表明した際の発言である。
現在にも通じる中国問題について、石原氏は50年以上前から警鐘を鳴らしていた。その根底にあったのが、“日本を憂う気持ち”だ。
国の将来に危機感を持たず、有権者に対する責任感を欠き、保身と私利私欲に走る政治家を石原氏は蛇蝎のごとく嫌った。
東京都知事時代のインタビュー(週刊ポスト2000年12月29日号掲載)では、当時の政治家がディーゼル車の排ガス規制を遅々として進めない理由について、こう語った。
「結局、意識の問題、使命感の問題です。もっと平たくいえば、政治家が“俺は本当は偉いんだ“とうぬぼれてかかったらいいんだ」
国民から信託された政治家は各省庁の意見の食い違いや業界団体の圧力を乗り越え、使命感を持って堂々と政策を遂行すべきとの見解である。
近年も批判される「決められない政治」の急所を突いた石原氏は、2000年に国に先がけてディーゼル車の排ガス規制に取り組んだ。
「政治家は恫喝されたら恫喝で返すくらいじゃないとダメだね。役人だって恫喝すれば動くんですよ」
盟友・亀井静香との対談(週刊ポスト2017年2月17日号掲載)では、そう豪語したこともある。