未踏の地を開拓し続けた野球マンガの第一人者は、読者からも球界からも愛された──。水島新司さん(享年82)の63年間の漫画家人生を、ノンフィクション作家の松永多佳倫氏がたどった。
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日本の野球マンガのイロハを作り、世代を超えて愛され続けてきた水島新司。彼の野球マンガはまさに革命の連続だった。
それまでの『ちかいの魔球』や『巨人の星』といった作品は“魔球”を操る、完全に荒唐無稽な別世界の作品だった。この世界観を一変し、水島は戦略戦術を用いた野球本来の魅力と、キャラクターの心情変化を上手くリンクさせたのだ。
キャラクターの個性も多様だった。ナイン全員が主人公となるように描かれ、実在するプロ野球選手が登場することも読者を楽しませる工夫だった。
筆で描くフォルムの迫力と泥臭さ、身体の躍動感、打球音や歓声といった細部にわたる球場の臨場感──。凄まじい描写力によって表現されるため、白熱するプレーの「スピード&チャージ」が紙面越しにビンビン伝わってくる。水島マンガは“五感を刺激する”点もまた画期的だった。
18歳でプロの漫画家になった水島はすぐに野球マンガを描きたい気持ちを抑え、「野球の奥深さを描ける力がまだない」と修練を積んだ。その甲斐あって『銭っ子』などのヒット作が生まれた。その後は、本格的に野球をテーマに書き始め、63年間にわたって様々な角度から「野球」を描き続けた。
「水を飲むな」に警鐘
そして水島は「先見性」を持つ作家でもあった。練習中に水を飲むことが禁止されていた1970年代後半の『ドカベン』で、ほとんどの選手が日射病(当時は熱中症という言葉が一般的でなかった)により試合続行不可能の場面があったことだ。勝利した選手(南海権左)の吹き出しには
〈暑い時は休けいをとってそしてノドがかわいたら氷水をカボカボ飲めばいいってわけさ〉
と書かれている。今から43年前、健全な高校生たちの教育のためアンチテーゼとして警鐘を鳴らしていた。