【著者インタビュー】浅田次郎さん/『母の待つ星』/新潮社/1760円
【本の内容】
《母の待つ里の駅頭に立って、松永徹は錦に彩られた山々や、円く展かれた空を見渡した。/透き通った風を胸一杯に吸いこみ、都会の塵を吐き出した。ゴルフ場の空気とは明らかにちがう天然の味がした》。本書はこんな一文で始まる。松永徹は大手食品会社の社長。忙しい合間を縫って1泊2日の休みを取り、上京以来、四十数年ぶりに東北にある「ふるさと」の駅に降り立つ。家で待っていたのは「ちよ」さん86歳。親不孝を責めず、逆に東京で立派に出世した松永を褒めそやすその人は、クレジットカードの「ユナイテッド・ホームタウン・サービス」を利用して、初めて会う「母」だった―後半生に差し掛かり、来し方行く末を思い悩む3人の「息子」「娘」は、「母」との時間に何を見出すのか。自らの故郷や親、失ってきたもの、これからの生き方、生きる場所について考えずにいられない新たなる名作。
松竹梅とあったら松じゃなきゃ嫌なタイプ
初老の男が、鉄道とバスを乗り継ぎ東北のひなびた村にやってくる。そこでは年老いた母が、「けえってきたが」と待っていた。
『母の待つ里』は、「親も故郷も捨てた男の、四十数年ぶりの里帰り」から始まるのだが、懐かしいはずの男の記憶は一向に戻ってこない。それもそのはず、この「帰郷」は、カード会社が1泊50万円で提供する有料サービスの一環だからだ。
ふるさとを求める都会人と、老人ばかりが暮らす過疎の村。両者の利害と思惑が合致した、現実にはありえないけど、ひょっとしたらあってもおかしくないと思わせる絶妙な設定は、いったいどこから生まれたのだろう。
「ブラックカードです。ぼくは、松竹梅とあったら松じゃなきゃ嫌な性格で、破格となるとなおさら飛びつくんです。ある時、破格の黒いカードの案内が来たんですぐ契約したら、12月に35万円も引き落とされていて。びっくりしてカード会社に電話したら『年会費です』って言うじゃないですか。『さようですか』って平静を装いましたけど、35万ですよ? そこで調べてみたら、『プライベートジェットのご用命はこちら』とか『高級ブランドの閉店後の買い物はこちら』とかありえない特典ばかりで、だったら1泊50万で『ふるさとを、あなたへ』って特典があってもいいんじゃないの?と思いついたんです」(浅田さん・以下同)
60歳を過ぎて、社会的には成功しているが、それなりに苦労も背負い、ふるさとを渇望する人物として造型されたのが、松永徹、室田精一、古賀夏生の男女3人だ。
徹は創業120年の食品会社社長、精一は製薬会社を退職するとともに妻に去られ、夏生は医者で、この先の人生をどうしようかと考えている。3人ともに、実の母親はすでにこの世にない。
鉢合わせすることのないよう、事前予約して一人ずつ訪れる彼らを「わが子」として曲がり家に迎え入れるのが、「ちよ」という86歳の老女だ。手料理でもてなし、風呂をたて、寝物語に昔の話を聞かせてくれる。寺の住職や食料品店を営む村の人たちも、テーマパークのエキストラよろしく、「久しぶりの帰郷」という設定に全面協力する。
舞台に選んだ岩手は、浅田さんにとってなじみ深い場所だ。
「『壬生義士伝』を書いて以来です。岩手の方言を勉強したので、もったいないから使わないと(笑い)。これまでも何度か小説の舞台にしていますけど、今回は、花巻弁と盛岡弁、遠野弁をミックスして、それらしく聞こえる、どこの言葉と特定されない言葉をつくりました。ちよが語る昔話の部分は、『遠野物語』の音源を参考にして遠野弁で書いています」