2月1日に亡くなった石原慎太郎氏(享年89)。石原氏の言動には、批判はあれど誰も無視することができない力強さがあった。本誌・週刊ポストにだけ語っていた言葉を振り返る。
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一橋大学在学中、『太陽の季節』で昭和生まれとして初となる芥川賞を受賞した石原氏は、文学界の将来を憂いていた。
2012年には、都知事をしながら続けていた芥川賞の選考委員を辞任した。その理由について、石原氏はこう語った。
「芥川賞の選考委員をしながら、自分の足をすくう新人が出てくることを期待していたが、目を見張るような作品はほとんどなかった。そのうち他の選考委員が『そろそろこの人に賞を取らせたほうがいい』なんていう政治的な選び方をするようになって、あまりに面白くないから委員を辞めてしまった」(週刊ポスト2015年1月30日号掲載)
石原氏が小説家の衰退の理由として挙げたのは、「エゴの欠如」だ。特に若手は「周囲がどう思おうがこれだけは書きたい」というエゴが決定的に足りず、画一的で薄っぺらな小説ばかりになったと嘆いた。
「作家が世間に媚びるためのマーケティングばかりしているから、実際に起きた事件や流行りの社会問題をとらえた作品だらけになり、『これを書きたい』という書き手自身の感性が感じられません」(同前)
文壇の劣化についても嘆息していた。石原氏の若かりし頃は、三島由紀夫、小林秀雄、江藤淳ら文壇のスターが遠慮なく意見をぶつけ合い切磋琢磨したが、古き良き時代は終わったと考えていた。
「かつての文壇は、サロンとしてよくできていたし、侃々諤々の議論から友情が芽生えたり尊敬もあったりした。それが今はすっかり甘い時代になってしまって、何かふやけてしまったみたいでね」(週刊ポスト2002年4月5日号掲載)
一方で自身の執筆意欲は老いても衰えず、政界引退後にかつての政敵・田中角栄の生涯を「角栄目線」で振り返る『天才』(幻冬舎)を執筆してベストセラーになった。