芸能界で光り輝いた大スターであった石原裕次郎。裕次郎を中心として集まった「石原軍団」は、日本の芸能界を席巻したが、そんな彼を支えたのが渡哲也だ。
裕次郎が1962年に立ち上げた石原プロモーションは、当初は『黒部の太陽』や『栄光への5000キロ』(1969年)の大ヒットで景気が良く、裕次郎は六本木に事務所用の土地を探していたという。
だが1970年代に入ると映画産業の斜陽化とともに『ある兵士の賭け』『エベレスト大滑降』(ともに1970年)などの作品が大コケ。10億円近い負債を抱えた石原プロは倒産寸前に追い込まれた。
窮地を救ったのが、1972年に始まったドラマ『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)への出演だった。
映画人を自任する裕次郎はテレビドラマへの出演を固辞していたが、周囲の説得もあり『太陽にほえろ!』で警視庁七曲署のボスを演じた。ドラマはたちまちお茶の間の人気番組となった。
そして、苦境の石原プロが浮上する最大のきっかけとなったのが、1971年の渡哲也の加入だ。
日活の後輩である渡が裕次郎と初めて出会ったのは1965年。渡が日活の撮影所に挨拶に訪れた際、裕次郎は立ち上がって握手した。
「顔を見つけた順に挨拶をしていって、石原さんが6番目くらいでしたけど、わざわざ立ち上がって挨拶してくれたのは、石原さんだけでした」
裕次郎との初対面を渡はそう振り返っている。