「ちょっと待て! ありえない! 91.75点だって?」。スノーボード男子ハーフパイプ決勝で、2回目の演技を終えた平野歩夢(23才)の得点が表示されると、アメリカの元スノーボード選手、トッド・リチャーズ(52才)は解説席で激高した。平野以外に誰も成功者がなかった、縦方向に3回転しながら横にも回転を加え、計4回転する大技「トリプルコーク1440」で着地したにもかかわらず、あまりに得点が低かったからだ。
しかし、平野は表情を変えることなくボードを力強く握りしめると、次の演技に向けてその場を去った。後がない3回目。彼は静かに滑り出すと2回目と同じルーティンを、より完成度高くこなし、96点をマークした。世界中が金メダル獲得を祝福すると共に、怒りを表に出さない彼の紳士的なふるまいと、強い精神力を称賛した。
平野の強靱なメンタルは、幼い頃から培われてきたようだ。3人兄弟の次男に生まれた彼は、スケートパークを経営する父・英功さんに4才のときからスノーボードの手ほどきを受けた。長年、練習を見守ってきた山形県小国町にある横根スキー場の高橋恒行さんは当時をこう振り返る。
「お父さんがスパルタ指導をしていたと思われがちですが、私は英功さんが怒っているところを見たことがない。いつもゴール地点で撮影をしていて、映像を子供たちと確認し、子供たちがまた上って滑る。それを淡々と繰り返す。自分から細かく指導することはないようでした。英功さんは何が正解で、何が間違っているのか、自分で考える力を身につけさせたいと思っていたのでしょう」
幼い頃から平野家と一緒に練習を重ねた鈴木孝明さんはこう話す。
「練習時間も本人の判断に任せて、一切強制はしなかった。上達のために自分が何をすべきか真剣に考えることで、苦しい練習を重ねる覚悟が生まれるようです」
苦しみは精神的なものだけではない。平昌五輪を1年後に控えた2017年3月、アメリカで開かれたスノーボードの国際大会で、「肝臓破裂」と「左膝の内側側副靱帯損傷」という大けがを負っている。
「雪上に打ちつけられた後、平野選手の顔色はみるみるうちに青ざめていった。それでも彼は『もう一度、跳ばせてくれ』と言いましたが、周囲が猛反対し救急搬送された。すぐに集中治療室に運ばれ、2か月の絶対安静を言い渡されました」(スノーボード関係者)
海外での遠征が続く中、勉強にも熱心に取り組んだという。新潟県の開志国際高校で3年間担任を務めた津野祐樹さんはこう語る。