全国400万人の発症者がいると言われる脊柱管狭窄症。“単なる腰痛”と思って医師の診断を受けていない推定発症者数も含めると500万人超とも言われている。壮絶な痛みとの闘いを生き抜いた大山加奈さん(37)の体験談を取材した。
高校時代から日本代表として活躍してきた元バレーボール選手の大山加奈さんは、子供の頃から腰痛に悩まされていた。
「小学校の終わりくらいから痛みを感じ始め、高校3年生のときには左腿の外側に突っ張るような違和感がありました。でも、それが腰からきていることにしばらく気づかなかったんです。
実業団に入ってからMRIを撮ったら、椎間板ヘルニア【*】だと診断されました。その後はリハビリをしながらだましだまし過ごしていたんですが、ワールドカップ直後の19歳のとき、試合中に腰の痛みで動けなくなってしまったんです。それでもまだ、ヘルニアだと思っていました。
【*比較的若い世代が発症する坐骨神経痛の原因。高齢になると坐骨神経痛の原因のほとんどは脊柱管狭窄症になる】
脊柱管狭窄症と診断されたのは、それから4年後の北京オリンピックの前年です。その頃はもう走ることもウォーミングアップもできないどころか、日常生活にも支障が出てきていた。腰が前に曲がってまっすぐ伸ばせず、ちょっと歩くだけでビーンと腰に痺れが走るんです。寝返りするだけでも、叫んでいましたね。
腰の痛みより辛かったのは、アスリートとしてチームに貢献できなくなったこと。死んだほうが楽なんじゃないかと思ったこともありました」
その後、手術を決断。
「当時、アスリートの脊柱管狭窄症の症例があまりなく、手術を受けて復帰した選手はいないとも言われていた。それなら手術せず引退しようと思ったんです。でも監督に引退を告げようと思っていた前日に、ふと、手術を受けて復帰したアスリート第1号に自分がなればいい、そうしたら同じ病気で苦しんでいる人たちの勇気や希望になれるって考えが浮かんだんです」