1947~49年に生まれた「団塊の世代」の800万人が全員、75歳以上の後期高齢者となる2025年には、医療や介護の“支え手不足”が懸念されており、「2025年問題」とも呼ばれている。日本の人口ピラミッドにおいて歪なほどに突出しているこの世代は、様々な新しい文化をかたちづくってきたが、その人数の多さから生じる問題もあり、“競争意識の強さ”が指摘されることがある。そうした傾向はプロ野球界にもあるという。
現役時代は南海などで活躍し、現在は辛口評論家として知られる江本孟紀氏は1947年生まれで、まさに団塊世代の元プロ野球選手だ。江本氏は、「ボクらの世代が、“オレが、オレが……”で育ってきたのは間違いないですね」と話す。
江本氏の1学年先輩には田淵幸一氏、山本浩二氏、星野仙一氏らがいて、このメンバーのプロ入りが決まった1968年のドラフト会議は“史上最高の大豊作”とも言われた。さらに江本氏の同学年には、藤田平氏、堀内恒夫氏、大矢明彦氏、鈴木啓示氏など蒼々たるメンバーが並ぶ。個性的なプレーヤーが次々と生まれたのは“競争相手”が多かったからだと江本氏は振り返る。
「とにかく、まずは仲間うちで勝ち抜かないといけなくて、競争は熾烈でしたよ。ボクは高知の田舎出身ですが、中学校では1学年に16クラスあったんですからね。それでも当然、野球部はひとつで、レギュラーの9人を狙うのは今と比べものにならないくらい大変です。部員が多くても監督が1人ですから、指導なんて受けられる状況ではない。
下の後輩の面倒だって見ている余裕はない。まず横に勝たないといけないわけですから。そうしたなかで野球だけで高校、大学、プロとやってきた。協調性もクソもない。勝ち残ってレギュラーになるしかないわけです」
大人数の同世代のなかで揉まれるから、抜きん出た実力が身についてきたわけだが、その一方で“チームをまとめる”ということは苦手になりがちだという。
近鉄の鈴木啓示監督が野茂英雄と揉めたのも……
「もともと協調性がないから、上の立場になっても、集団がまとめきれない(苦笑)。『なんで人の面倒を見なアカンのや』『自分の力で這い上がってこい』という考えの人ばかり。だから上に立って他人のことなんか見てられへん。いつまでも自分が一番うまいと思っている、厄介な世代なんです。
近鉄の監督をした鈴木啓示なんか典型的でしょう。野茂(英雄)がやろうとしたことに猛反対。鈴木が言っていることが100%正しくとも、それを相手が納得するかたちで説明ができない。後輩や同僚に教えてきていないから理論がなくて、『説明するより自分でやったほうが早い』と思ってしまう。それでも実績を残しているから、ガンと上から押さえつけても誰も文句が言えずにきていたんです」(江本氏)
自分の才能と積み重ねた努力に自信があり、実績も残してきているわけだが、それによってかえって上手くいかないことも多いというのだ。江本氏と同じ「1947年組」では、鈴木啓示氏のほかに監督経験者として藤田平氏(阪神)、堀内恒夫氏(巨人)、大矢明彦氏(横浜)がいるが、江本氏は「誰も監督として成功していない。他の連中は監督の声すらかからない」と苦笑いする。そして、近い年代のなかでも「1947年組」は個性が強すぎるのだと江本氏は続ける。
「『1946年組』は結構、群れ合うというところがあるのですが、ボクら『1947年組』はひどいですね(苦笑)。プロ野球では、どの世代にも“××年会”というのがあるが、一番遅くにできたのが我々の『昭和二十二年会(1947年生まれ)』なんですよ。プロ野球選手の数は一番多いのに、なんで遅かったかっていうと、みんな仲悪かったから(笑)。
堀内、鈴木、大矢、藤田に平松(政次)、谷沢(健一)でしょ。もう、聞いただけで嫌になる(笑)。ムチャクチャ悪いのばっかりだった。あと福本(豊)もいるか。松岡(弘)に安田(猛)。普段はマイペースなやつばっかりです。堀内なんか、口利いたことなかったですよ。球場でも会っても、“あぁ”で終わってたから。普通なら“どう、元気?”“今日はどうや?”とかって言うじゃないですか。それがみんな何もない。鈴木啓示とかもひどかったよ。みんな下に見てるの」