全国400万人の発症者がいると言われる脊柱管狭窄症。“単なる腰痛”と思って医師の診断を受けていない推定発症者数も含めると500万人超とも言われている。壮絶な痛みとの闘いを生き抜いた三枝成彰さん(79)と水前寺清子さん(76)、蝶野正洋さん(58)の体験談を取材した。
術後の“回復”は人それぞれとなる。作曲家で代表作にオペラ『忠臣蔵』がある三枝成彰さんはこう振り返る。
「2009年頃に突然、発症しました。300メートルほどの距離も歩けなくなったんです。歩き始めるとすぐに腰に痛みが走るから、何度も立ち止まり休みながら歩くことしかできなくなってしまった。面白いことに、お腹が減っているときは痛くない。ご飯を食べて体重が重くなるとめちゃくちゃ痛くなるんですよ」
3年後に脊柱管狭窄症と診断され手術を受けるも、わずか1週間で退院。
「手術が終わったその日はうつ伏せのままで過ごしたんですが、2日目から歩行訓練、3日目にはもう作曲作業をしていた。小さな電子ピアノを持ち込んで音を出すから、隣の部屋から苦情が出てしまいました。先生からも『状態もいいので退院して大丈夫です』と言われたので、1週間の入院で済みました」
脊柱管狭窄症は治ったが、今も腰が痛むという。
「でももう病院は行かない。今年で80だからどっちみち棺桶に入るだけ。そこまで歩けりゃいい。それに僕たちモノを作る人間は、鬱積してないといいものは作れない。快適な毎日なんか邪魔だね。健康であることは才能を失うってことだよ」
元気な姿でステージに立つ!
『三百六十五歩のマーチ』の大ヒットで知られる水前寺清子さんも“歩行困難”に陥った。
「もともと腰痛持ちではあったのですが、2013年頃からは普段の痛みとは全く違う症状が出てきました。最初は足に違和感がありました。立っていると両足の先が冷たい感覚に襲われて、そのうちにお尻のあたりから足先に痺れを感じるようになったんです。
そしてとうとうある日、ステージ上で脚の感覚の麻痺からスッテーンと転んでしまったんです。ショックでした。医師に相談すると、このままだと4~5年後には歩行困難になり車いす生活の可能性があると言われ、手術を決心したんです。『元気な姿でステージに立つ!』という思いがあり、迷いはありませんでした」