17日間に及び開催された北京オリンピック。日本が過去最多18個のメダルを獲得したことが話題となったが、それ以上に注目を集めたのはドーピング違反など数々の騒動だった。作家の甘糟りり子さんはどう見たのだろうか。
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つい1週間ほど前まで行われていたオリンピックがもっと遠い過去のように感じられる。東京都教育委員会のHPによれば、オリンピックとは、「スポーツを通した人間育成と世界平和を究極の目的とした」ものだという。しかし、近年、これほど後味の悪いオリンピックも無かった。いくつものすっきりしない疑問をうやむやにしたままの閉幕だった。
連日、女子フィギュアスケートのワリエワ選手のドーピング問題が報道されていたが、そもそもロシア選手団は組織的ドーピングによって国としての参加が認められず、 ROC(ロシア・オリンピック委員会)という名称での参加だった。違反歴や疑惑がない選手のみが「個人」として出場を許可されるのではなかったのか。国旗の掲揚を行わない、国歌斉唱はなし、国名の入ったユニフォームを着用しないという条件が付いているものの、ROCはほとんど国の選手団である。ご都合主義の対処といわざるを得ない。
スター選手の多いロシアを出さないと視聴率が下がるからなのか、みんなプーチンが怖いからなのか(そりゃあもちろん怖いけれど)。それとも両方?
中国の新疆ウイグル地区でのウイグル族への弾圧やひいてはジェノサイドに抗議の意思を示すため、外交的ボイコットを行った国もあった。アメリカ、オーストラリア、イギリス、カナダ、ニュージーランドなどだ。日本も政治代表団を派遣しなかった。本気に抗議するのなら「政治的」ではなく、全面的にボイコットをするべきだ。オリンピックを「平和の祭典」というのならば。
北京オリンピックの開会式も閉会式も、表現としてはすばらしかったと私は思う。国内のローカルタレントが次々と出てきて何かやるという忘年会みたいな開会式とは全然違った。始まりから終わりまでが一つのイメージで統一されていた。
そんな式典でバッハ氏は例によって無駄に長い挨拶を行った。閉会式では「五輪で団結する力は、分断する力より強い。平和の機会をもたらした」とのたまった。ウイグル民族の人たちや香港の人たちは、これを聞いてどう感じるのだろうか。