3月3日、女子ゴルフの今季開幕戦「ダイキンオーキッドレディス」が始まる。最近は優勝後に「親子」で喜び合うシーンを目にする機会も増えてきた。2人でどんな苦難を乗り越えてきたのか──サラリーマン家庭に生まれ国内メジャーVを成し遂げた三ヶ島かな(25)を中心に「父と娘」の物語をお届けする。【全4回の第2回。第1回を読む】
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昨季最終戦で初優勝を飾った三ヶ島かなは、父と一緒に戦ってきた1人だ。福岡県生まれの三ヶ島は、渋野日向子ら「黄金世代」の2つ年上。これまで優勝候補と目されるもあと一歩届かず、後輩たちの台頭に焦る日々を送ってきた。
父・直さんがトップで迎えた最終日を振り返る。
「最終的に2位とは4打差で優勝しましたが、実力者ばかりなので、ホールアウトするまでドキドキしていました。15番で第2打がバンカーの壁に刺さった時は“寿命が縮まってもいいからボギーで上がらせて”と祈りました。友人に誘われて最終日は見に行きましたが、本人には余計なプレッシャーをかけてしまうと思って内緒にしていました」
三ヶ島をトッププロに導いた直さんは、趣味でゴルフを嗜むごく普通のサラリーマンだった。
「僕がゴルフを始めたのが30歳の頃。我流で始めましたが、すぐにハマってしまいまして(笑)。最高でハンデ7まで行きました。かなが小学校4年生、10歳の時に空き地で練習していると、“パパ、何しよっと”とやってきたんです。“私もやりたい”というので、プラスチックのボールを買ってきて始めました」(直さん)
大人のクラブで打つため、当然最初は「大スライスして泣いていた」(直さん)というが、1か月程でボールが真っ直ぐ飛ぶようになった。
「練習場に行って本物のゴルフボールを打つようになるとまたスライスに。負けず嫌いだから、毎日のように練習場に通うようになりました。『才能』を感じたのは始めてから3か月くらいで初ラウンドした時です。いきなり1ホール目(パー4)からパーを狙える位置につけたんです。パターを外してボギーになって泣いていましたが、『凄いな』と思いました。結局、3回目のラウンドで100を切って、それ以来100を叩いていない。私は100を切るまでに1年半もかかったのに(苦笑)」(直さん)