1980年代、日本映画界に彗星のごとく現れた薬師丸ひろ子(57才)、原田知世(54才)、渡辺典子(56才)。いまも第一線で活躍し続ける彼女たちの原点は、10代でヒロインを務めた『角川映画』にある。“角川三人娘”と呼ばれた彼女たちの才能を見出した編集者・映画監督・映画プロデューサーの角川春樹さんと映画宣伝プロデューサーの遠藤茂行さんが当時を振り返る──。【全4回の第2回】
主題歌もヒットさせた角川三人娘
〈彼女たちは、自身が主演する作品の主題歌も歌い、軒並みヒット。薬師丸のシングル『セーラー服と機関銃』(1981年)は約120万枚、原田の『時をかける少女』(1983年)は約59万枚、渡辺の『晴れ、ときどき殺人』(1984年)は約15万枚を記録している〉
遠藤:彼女たちが同じ週のヒットチャート上位に登場するなんてこともありましたね。
角川:薬師丸に関しては『野性の証明』のときから歌わせたいと思っていました。
彼女は中学生の頃、コーラス部で歌の素養はあったんです。ただ、歌わせるとコーラス部独特の歌い方で個性がない。そこで音楽プロデューサーの酒井政利さん(享年85)のところに行かせて、レッスンを受けさせました。
その後、主演2作目の『ねらわれた学園』(1981年)では、ユーミン(松任谷由実・68才)に楽曲を依頼しました。ちょうどその頃、ユーミンは結婚して人気に陰りが見えていた頃でしたが、彼女と親交があった私は、主題歌を依頼しました。それでできた曲が『守ってあげたい』です。当初は薬師丸に歌わせるはずでしたが、意外にも彼女が断ったので、ユーミンの歌唱でいくことにしたのです。結果、大ヒット(累計販売枚数69万枚以上)となりました。
『セーラー服と機関銃』の主題歌は、当時の所属レコード会社だった『キティレコード』のプロデューサーと進めた企画でした。もちろん私は承諾しましたが、歌わせたいと提案したのは、相米慎二監督(享年53)です。
遠藤:あの曲がヒットしたのも、角川さんが薬師丸さんという女優のカリスマ性を大切にしたからですね。なんでもかんでも露出することをよしとしないで、映画に関するキャンペーン以外は表に出ないとか。アイドル雑誌の取材依頼もありましたが、断ることの方が多かった。『セーラー服と機関銃』はCMスポットや予告をガンガン流して、本人の露出は極力、控えていました。
そして公開前に、主題歌のお披露目イベントを新宿アルタ前で行う、とメディアを通して告知しました。すると前日から大勢の人が並び、イベント当日は1万5000人以上が駆けつけ、機動隊まで出動。新聞には『セーラー服と機動隊』という見出しもついたほどです。それからは歌番組などにも出演し、一気にスターダムにのし上がりました。