ウソと誤解に満ちた「通説」を正す、作家の井沢元彦氏による週刊ポスト連載『逆説の日本史』。近現代編第九話「大日本帝国の確立III」、「国際連盟への道 その1」をお届けする(第1334回)。
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最近、日本史をテーマにした講演で私はよく「回り道」という言葉を使う。日本史の特徴を示す用語として、だ。日本の歴史の最大の特徴が、天皇という存在にあることを再認識してもらうためである。
私が約三十年前にこの『逆説の日本史』を書き出したのは、何度も述べてきたとおり日本の歴史学界があまりにも宗教を無視して日本史を分析していたからだ。そしてその宗教の中核的存在として天皇があることも、私が若いころの歴史学界では無視されがちだった。これにはちゃんとした理由がある。簡単に繰り返せば「天皇のために死ね」という戦前の教育を受けた人々が、それゆえに天皇を激しく憎むようになり、長じて歴史学者やジャーナリストや文化人になると天皇という存在を故意に無視して日本史を語ろうとするようになったからである。そのために歴史研究および歴史教育全体が歪んでしまった。
若い人には信じられないかもしれないが、「日本史の最大の特徴は天皇の存在である」と主張すると、私の若いころには右翼と罵倒された。私は右翼でも左翼でも無い。そもそも、この「日本史の最大の特徴は天皇の存在である」は、イデオロギーや思想の問題とは関係無く、右翼であろうが左翼であろうが中立であろうが、認めざるを得ない客観的事実である。天皇とは日本以外の国の歴史には存在しない特別な存在である、という認識からスタートしないと日本史はわかるはずが無い。
「回り道」というのはそういうことで、他の国なら藤原氏が奈良から平安時代にかけて日本唯一の権力者になるのも簡単であった。ロシア革命で皇帝一家が皆殺しにされたように天皇一家を皆殺しにしてしまい、これからは自分が天皇だと名乗ればいいわけだ。中国ならそれができるし、ヨーロッパでも中東でもそれができる。単に皇帝や国王を殺しただけなら暗殺犯だが、たとえば中国なら現在の皇帝が持っている軍事力を超える力で皇帝を倒せば、自分が皇帝になることができる。元朝を倒して明朝を建て皇帝となった朱元璋が典型的で、朱一族は元朝の皇帝一族とはなんの血のつながりも無い。しかし王朝交代を実現し、皇帝になることができた。日本以外ではそれが可能なのだ。
ところが、日本だけそれができない。遅くとも天武天皇のころから、日本を治めるのは天皇家の濃いDNAを持つ者に限るという信仰が確立してしまったからだ。だからこそ藤原氏は苦心惨憺して平安時代には藤原摂関政治を実現した。天皇の幼少時には摂政、元服しても関白と称して天皇家の権力を奪った。これが「回り道」である。外国ではそんなことをする必要が無い。外国なら「この世をば わが世とぞ思ふ 望月の」と詠んだ「日本一のゴーマン男」藤原道長あたりで、藤原氏が天皇になっている。ちなみに、日本の平安時代に西ヨーロッパではメロヴィング朝が滅びカロリング朝に王朝交代したが、その立役者であるカール大帝はメロヴィング朝の宮宰(日本で言えば侍従長あたりか。あくまで家臣)の子孫である。王様が弱みを見せれば臣下に王位ごと乗っ取られる。それが世界の常識なのだ。
しかし、日本はそうでは無いから「大変」だった。一昔前は、いやいまでもそうかもしれないが、外国人が日本史を学んだときにもっとも不審に思うのが「源頼朝はなぜ天皇家を根絶やしにして自分が天皇にならなかったのか」ということだった。外国人つまり世界史の常識で言えば、「源頼朝は天皇になっているはず」なのである。頼朝は平家打倒を果たした日本最大の軍事力の持ち主であり、その気になればいつでも天皇一家を皆殺しにできた、と外国人は考えるわけだ。しかし、じつはできない。