ウクライナ侵攻に踏み切ったロシアのプーチン大統領。その裏側には、恐るべき“粛清”の歴史がある。
「プーチンよ、1人の人間を黙らせることができても、世界中の抗議の声を封じ込めることはできない」──死の2日前、妻マリーナにそう言い残し息を引き取ったのは、元FSB(ロシア連邦保安局)幹部のアレクサンドル・リトビネンコ氏だ。
2006年11月、英国・ロンドンに亡命して6年目の記念日を妻とささやかな手料理で祝った直後に、体調が急変──髪の毛はすべて抜け落ち、腎臓や心臓などの内臓は蝕まれ、骨髄不全に陥るという壮絶な最期だった。リトビネンコ氏はプーチン政権による不正や暗殺を内部告発し、ロシアのチェチェン侵攻を徹底的に批判していた。それゆえ、プーチン氏から“報復”を受けたとされている。英国在住の国際ジャーナリストである木村正人氏が解説する。
「リトビネンコ氏の遺体からは、ロシアの国家施設でしか製造できないといわれる放射性物質の『ポロニウム210』が検出されました。英国の調査委員会は事件から9年後の2016年、暗殺にロシア政府が関与しており、少なくともプーチン大統領の承認を得ていたと結論づけました」
プーチン氏は常々、「組織の裏切り者には残酷な死を与える」と公言。背筋が凍るのはその手口だ。
「すぐには殺さず苦しみぬいて死ぬように量を調整された放射性物質がリトビネンコ氏に対して使われたとみられています。反逆者を見せしめにすることで、組織への忠誠を誓わせる狙いなのでしょう」(木村氏)
2000年のプーチン大統領就任後、未遂も含めると20人以上が命を狙われたとみられている。
「プーチンは99年に勃発した第二次チェチェン紛争を制圧して権力の中枢に駆け上がりました。KGB(ソ連国家保安委員会)の後身であるFSBの長官時代には、特殊工作を行なう機関を創設しており、それ以降チェチェン独立派の指揮官や政敵、ジャーナリストが次々と不審な死を遂げました。さらに近年は一般市民や活動家にまで及んでいます」(木村氏)
2018年3月、英国南部の古都ソールズベリーのショッピングモールのベンチに1組の男女が意識不明で倒れているところを発見される。2人の体からは神経剤の「ノビチョク」が検出された。