米・バイデン大統領はなぜ「プーチンの戦争」を止められなかったのか。インテリジェンス小説『鳴かずのカッコウ』や『ウルトラ・ダラー』など、幾多の著作でロシアのウクライナ侵攻を予見してきた外交ジャーナリストの手嶋龍一氏が語る。
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四半世紀にわたってウクライナ、中国、ロシアの現場三国の動向を追い続けてきた私としては「プーチンの戦争」は起きるべくして起きたと言わざるを得ない。「昨日の超大国」アメリカの大統領が決定的な局面で対応を誤ったことが、ロシア軍のウクライナ侵攻を許してしまったのである。
バイデン・ホワイトハウスには、CIAをはじめ複数の情報機関から「プーチンはウクライナ侵攻を既に決断した」との確報が次々に寄せられていた。だが、バイデンは信じ難いミスを犯してしまった。極秘にすべきインテリジェンスを敢えて公表しながら、「侵攻には大規模な経済制裁で応じる」と言うだけで、軍事上の措置は取らなかった。
NATOに加盟していないウクライナに米軍を派遣する条約上の義務はないと明言して、プーチンの軍事侵攻を招いた。米大統領の机上には「宝刀が載っていない」と手の内を晒す戦略的誤りを犯したのだった。
果たしてプーチンは安んじてロシア軍にウクライナへの全面侵攻を命じている。日本の機動部隊が真珠湾を奇襲すると知りながら、ルーズベルトが手を拱いていれば囂々たる非難を浴びただろう。その後もバイデンは「攻撃が東部地区に限られるなら制裁も小振りになる」と述べ、「ミグ戦闘機をドイツの米軍基地を経由してウクライナに送る」とのポーランドの要請も断わってしまった。バイデンは迷走に次ぐ迷走を重ねていった。
「想定できない事態をこそ想定し備えておけ」。安全保障に携わる者の大切な心構えだ。だが、米国の外交・安全保障当局者たちにとって「プーチンの戦争」は、彼らの予想を遥かに超えるものとなった。ロシア軍の侵攻は、東部の国境地帯に限定されるはずと楽観的だったが、いまや戦火は全土に広がっている。
なかでも最大の誤算は、原子力施設への攻撃だった。チェルノブイリ原発はすでに廃炉で、ベラルーシから首都キエフを衝く途上のため占拠したにすぎないと軽く見た。だが、こうした見立ては惨めなほどに間違っていた。ロシア軍は、欧州最大のザポリージャ原発をはじめとする原子力施設を制圧した。プーチンは“神の火”たる原子力は我が掌中にありと誇示、右手に原子炉、左手に核ミサイルをかざし、西側世界への脅しとしたのだ。
プーチンは国連憲章や国際法など歯牙にもかけない“現代ロシアの皇帝”だ。そして小児病院や産院まで標的にし、正義の戦いだと主張することすらやめ、戦争犯罪者になろうとしている。「プーチンの戦争」は最後の一線すら越えたのである。