別れの間際に聞こえたのは、涙声まじりの大合唱だった。歌手の西郷輝彦さん(享年75)が2月20日に前立腺がんで逝去した。24日に都内で営まれた葬儀では、出棺のときを迎えると参列したファンたちが西郷さんの代表曲『星のフラメンコ』を口ずさみながら見送った。
1947年に鹿児島県で生まれた西郷さんの歌手デビューは1964年。17才だった。デビュー曲の『君だけを』で一気にスターダムにのし上がり、同じく1960年代に活躍した橋幸夫(78才)、舟木一夫(77才)の2人とともに「御三家」と称された。
右肩上がりの時代と海外の新しい音楽の影響に加え、御三家の活躍を強く後押ししたのはテレビの普及だった。作詞家で、西郷さんに歌詞を提供した経験もある湯川れい子さんはいう。
「西郷さんがデビューした1964年には東京五輪が開催され、これを機に各家庭に一気にテレビが普及しました。音楽番組も増えていった時期で、テレビで毎日3人の顔を見ることができて、ブラウン管を通じて、イケメンルックスの御三家の魅力がお茶の間に浸透していったんです」
黎明期のテレビを舞台にした3人の活動は、芸能界にさまざまな変革をもたらした。その1つが「ファンとの距離」だ。『ニッポン男性アイドル史』の著者で社会学者・文筆家の太田省一さんはいう。
「御三家の功績の1つは、スターとファンとの距離をぐっと縮めたこと。当時のスターはいわゆる“大人”が多く、ファンから離れた雲の上の存在でしたが、御三家は当人たちもファンも若者。自然と距離が縮まり、憧れだけでなく、親近感や共感を持って芸能人を応援するムードを作り上げたのです」(太田さん)
御三家の登場以前にも石原裕次郎や小林旭など、数多くのヒット曲を持つ人気者は存在した。だが彼らは「銀幕のスター」であり、ファンの手には届かない存在だった。当時を知る元民放テレビ局員が述懐する。
「あの頃はテレビよりも映画の方が格上という風潮があり、映画の世界の人がテレビに出ることはほとんどありませんでした。つまり、銀幕のスターを見たかったら映画館に行くしかない。だけど、テレビで活躍する御三家ならば電源を入れたら彼らの姿を見ることができる。銀幕のスターよりもずっと身近だけれど、手が届きそうで届かないという歯がゆさが、ファンを一層夢中にさせたのだと思います」