歌手の西郷輝彦さん(享年75)が2月20日に前立腺がんで逝去した。1947年に鹿児島県で生まれた西郷さんの歌手デビューは1964年。デビュー曲の『君だけを』で一気にスターダムにのし上がり、同じく1960年代に活躍した橋幸夫(78才)、舟木一夫(77才)の2人とともに「御三家」と称された。
御三家の功績について、『ニッポン男性アイドル史』の著者で社会学者・文筆家の太田省一さんはこう話す。
「御三家の功績の1つは、スターとファンとの距離をぐっと縮めたこと。当時のスターはいわゆる“大人”が多く、ファンから離れた雲の上の存在でしたが、御三家は当人たちもファンも若者。自然と距離が縮まり、憧れだけでなく、親近感や共感を持って芸能人を応援するムードを作り上げたのです」(太田さん)
ファンと芸能人の距離を縮めるきっかけにもなった御三家だが、それは決してスターが自らがアマチュアに近づくという意味ではない。ファンを大切にしつつも、プロとして芸を磨く努力は惜しまなかった。
「身近な存在である一方、夢の世界に生きるのが当時のアイドルの宿命です。いまのように“天然ボケ”や“隣のお兄さん”といった素人っぽい親しみやすさが好意的に評価される時代ではなかったため、歌や演技で実力を発揮しなければというプレッシャーは相当なものだったはずです。御三家をはじめとする当時のアイドルは、ファンを喜ばせるべく、常に完璧でいるための必死の努力を重ねていました」(元民放テレビ局員)
太田さんは、御三家はデビュー時からすでに“完成形”だったと指摘する。
「いまは歌や踊りのつたない新人アイドルでも、その成長を見守るような楽しみ方もありますが、当時はそうではない。たとえば橋さんや舟木さんはデビュー前に、戦後歌謡界の重鎮として5000曲以上を生み出した作曲家の遠藤実さんを師匠として厳しいレッスンを受けていました。
だから初々しさは残りつつ、基礎の力が備わっていた。歌やダンスのレッスンを積んだ上でデビューし、完成された形を提供するという意味では、いまのK-POPに近いとも言えるかもしれません」