放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、難病で闘病中のアントニオ猪木についてつづる。
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アントニオ猪木は叫んだ。「1、2、3、ダァーッ。元気ですか、元気があれば何でもできる」。いま私は“燃える闘魂”に言いたい。「病気ですか、病気だって何でもできる」。
先日、NHKで放送されたドキュメント(『燃える闘魂 ラストスタンド~アントニオ猪木 病床からのメッセージ』。2021年11月にOA、2022年3月再放送)を見て胸がしめつけられたかつての青年たちも多かったと思う。入院先のベッドにまでカメラはむかった。かつての弟子がいまテレビマンになったのですべて取材をOKしたのだ。猪木寛至にもどる事もなくカメラの前、人の前では常にアントニオ猪木なのだ。難病である「心アミロイドーシス」だという。きいてもよく分からない。治療法すら確立されていない病気なのだ。「イノキボンバイエ」である。
思えば猪木はどれだけ我々を勇気づけたか。力道山vs木村時代からのプロレスファンだった私は“若手三羽烏”として入門しカメラに収まった勇姿に明日の日本を託した(少しオーバーだが)。3人とはジャイアント馬場、アントニオ猪木、マンモス鈴木である。マンモスはその名の通り体中毛むくじゃらの男だったが、その後姿をみかけなくなった。マンモスは絶滅したのか。
猪木のファイトにはいつもドキドキさせられた。ビートたけしと収録していた『北野ファンクラブ』。私はディレクターに「今日お腹痛くて本番行けません」と電話。すぐに松村邦洋を連れて猪木のプロレス会場へ。次の日別の番組でたけしに会ったら「お腹痛いの、猪木で治った?」。いかん、なんとこの試合生放送で客席にいた松村と私が映っていたのだ。仕事をさぼるほど男を夢中にさせる猪木なのだ。