ロッテの佐々木朗希(20)が、3年目にして本格稼働となりそうだ。高校時代から160キロ台の直球を投げて将来を嘱望され“令和の怪物”と呼ばれた佐々木だが、肉体強化の必要性から、プロ入り後の一軍登板は限定的だった。それが今年はオープン戦から160キロ台を連発。西武では“平成の怪物”こと松坂大輔と正捕手としてコンビを組み、佐々木のルーキーイヤーには同じロッテに在籍した細川亨氏(現・ロキテクノ富山バッテリーコーチ兼ディフェンス担当)は、現状をどう見るのか。
「朗希の長い腕からリリースされるストレートに怖さを感じましたね。ビューンと伸びるというか、もの凄いボールでした。マウンドから投げて角度が付いたボールには、恐怖すら感じたのを思い出します」
そう振り返る細川氏は2002年にプロ入りし、西武、ソフトバンク、楽天で正捕手を務めてきた。キャリア最終盤にはロッテに在籍し、佐々木が入団した2020年シーズンを終えたところで、現役を引退した。西武時代には球界を代表するエース・松坂大輔とコンビを組み、後に最多勝投手となる涌井秀章とも高卒新人の年からバッテリーを組んできた。ソフトバンク時代には“松坂世代”を代表する杉内俊哉や和田毅の球を受けている。
現在、細川氏がコーチとして所属するロキテクノ富山は日本野球連盟に所属する社会人硬式野球チーム。創部10周年を迎え、今シーズンから細川氏が招聘され、初の都市対抗大会の出場を目指している。
これまでのキャリアのなかで、平成を代表するエースたちのボールを受けてきた細川氏の目に、高卒新人の佐々木はどう映ったのだろうか。
「当時はまだ若いというか、勢いだけで投げていたという印象ですね。ただ、日本人離れした手足の長さがありますから、バッターとしてタイミングがとりづらそうだと感じました。キャッチャーの目線からすればマウンド上の姿は大きく見えるし、リリースが前になるので打ちづらいと思いましたね」
当初から、佐々木は「3年目にローテション投手にする」という計画だったと細川氏は語る。
「朗希の1年目に僕は二軍にいて、吉井(理人)ピッチングコーチは朗希を一軍に帯同させてマンツーマン指導していた。だからブルペンで受けるようなことはなかったが、朗希が投げたシード打撃の打席に立ったり、立ち投げの相手はしていました。外野で肩慣らし程度の立ち投げでも、直球の伸びは凄まじかった。
ただ、細いというか、自分の馬力だけで投げているイメージでした。トレーニングは絶対に必要だなとは感じましたね。あの体を見たら、首脳陣とすればケガをされるのが怖いというのはあったと思います。本当に細かったですよ。お尻とかも小さかったし、プロの体ではなかったですね」