3月17日、皇居・御所にて天皇家の長女・愛子さまが、初めての記者会見に臨まれた。「二十歳という節目を無事に迎えることができましたことを嬉しく思っております」と、自信に満ちた表情で語られた──。愛子さまが誕生されたのは2001年12月。約19万人が沿道に詰めかけた皇太子さま(当時)と雅子さまのご成婚祝賀パレードから9年目に訪れた吉報だった。日本中が祝賀ムードに包まれ、東京・目黒にある雅子さまのご実家である小和田家にはお祝いの花束がひっきりなしに届けられた。
その2年前に稽留流産を経験された雅子さまの喜びはひとしおで、会見では「生まれてきてくれてありがとう」と涙ぐまれた。皇室ジャーナリストの神田秀一氏が振り返る。
「生まれたばかりの愛子さまを抱っこされた雅子さまを、宮内庁病院の正面玄関で記者会の一員としてお出迎えしました。幸せに包まれた雅子さまの表情は、昨日のことのように思い出されます」
愛子さまの誕生は、皇室にとっても国民にとっても慶事だったことは間違いない。一方で、皇室の長年の懸案事項は未解決のままだった。お世継ぎ問題だ。
当時、皇室には秋篠宮さま以来男子が生まれておらず、約2600年続くとされる万世一系が崩れるとの緊張感が漂った。2003年には宮内庁の湯浅利夫長官(当時)が「秋篠宮家に第3子を強く希望したい」と発言して物議を醸した。
そうしたムードを一変させたのが、2006年9月6日の秋篠宮家の長男・悠仁さまご誕生だった。皇室にとって41年ぶりの男子誕生であり、秋篠宮家の長女・眞子さんと次女・佳子さまと10才以上年の離れた弟君は、皇室に前例のない帝王切開で誕生された。かねて第3子を切望されていた秋篠宮ご夫妻のお気持ちが結実した瞬間だった。悠仁さまがお生まれになった日、当時天皇だった上皇陛下は、宮内庁の幹部職員一人ひとりに「いろいろ苦労をかけました。ありがとう」と電話で感謝の言葉を伝えられたという。
愛子さまと悠仁さま、誕生の際にはどちらも日本中が幸せに包まれた。しかし、「天皇家の長女」である愛子さまと「宮家の長男」であった悠仁さまは、生まれてからの扱いに厳然たる格差があった。
そもそも天皇家(当時の両陛下と皇太子ご夫妻と愛子さま)の日常の費用や内廷諸費のために支出された「内廷費」が3億2400万円だったのに対し、秋篠宮家の品位保持のための「皇族費」は、悠仁さまの誕生後でも5490万円程度だった。もちろんお立場や担われるお務めには違いがあったが、同じ5人のためのお金に6倍もの差があったことになる。