日本が「バブル経済」を迎える1985年の少し前。いまから40年前の1982年は、未曽有の好景気を予感させる文化の隆盛を見せていた。一体どんな時代だったのか。
アイドル文化隆盛! 若者が時代を牽引
内閣府の『高齢社会白書』(2020年)によると、1980年の15〜64才人口は約67%(2020年は約59%)で、高齢化率は約9%(2020年は約29%)。1980年代初頭の日本は、働き盛りの若い世代が時代を牽引していたことがわかる。
「1982年の大きな特徴は、若者を対象にした音楽、映画が続々と登場したことです」
とは、ポップカルチャーに詳しい、レコード収集家の鈴木啓之さんだ。
シブがき隊、小泉今日子、中森明菜などのアイドルが多数デビューし、「花の82年組」と呼ばれた。
「それ以前の若者は、学生運動など、社会や権力に抵抗する活動をしてきました。しかし、1980年代に入ると、便利で豊かな生活を求め、消費社会に。若い人は、新しくてカッコいいものに飛びつくようになったのです」(鈴木さん)
アイドル文化の隆盛もその一端だ。では具体的に何がどう人々を魅了したのか、振り返ってみよう。
一台のテレビを家族で見ていた最後の時代
「1982年はテレビの影響力が強かった時代といえます」
とは、前出の鈴木啓之さん。
「多くの家にテレビが普及したものの、まだ一家に一台。録画のできるビデオテープレコーダーもありましたが、まだ高級品だったため、テレビは家族そろって、リアルタイムで見るという視聴スタイルが主流でした」(鈴木さん・以下同)
そのため、歌番組は全世代が楽しめることを意識して、歌手や曲を選び、放送していたという。若い世代には松田聖子の『赤いスイートピー』をはじめ、アイドルによるポップミュージックを、大人世代には細川たかしの『北酒場』をはじめとする演歌を、と同番組内で多世代の曲を流していたため、ヒット曲はすべての世代が口ずさめた。
「歌番組以外で人気を博したのは“明るい”内容。家族で見て笑える番組が求められました」
当時、特に人気を博したのは、《楽しくなければテレビじゃない》をスローガンに掲げたフジテレビのお笑い番組。『THE MANZAI』『オレたちひょうきん族』『森田一義アワー 笑っていいとも!』は、1982年の『年間視聴率三冠王』の獲得に貢献したという。
1982年以降は、ビデオテープレコーダーが普及していき、テレビは家族で見るものから、好きなものを録画して後で見る、というスタイルになっていく。さらに、1983年に任天堂から「ファミリーコンピュータ」が登場すると、子供部屋にもテレビが置かれるようになり、個別視聴の時代を迎える。
「この年は、“大衆”が存在した最後の時代かもしれません」