1965年から1973年にかけての巨人の9年連続日本一 ──野手は王貞治、長嶋茂雄の「ON」を中心に柴田勲、黒江透修らが脇を固め、投手陣には400勝投手の金田正一や城之内邦雄、堀内恒夫らタレントが揃っていた。そんな「不滅の記録」を打ち立てた常勝軍団を束ねたのが、名将・川上哲治だ。(文中敬称略)【全4回の第1回】
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川上哲治が、水原茂から巨人の監督を引き継いだのは1961年だった。すでにON(王貞治、長嶋茂雄)を擁すなど、充実した戦力があったが、1961~1964年は1位→4位→1位→3位とシーズンごとに浮き沈みがあった。
不滅の記録である「9年連続日本一」が始まる1965年シーズンに先立ち、川上は“大補強”に出る。目玉はB級10年選手制度(※現在のFA制度の前身とも言える制度で、10シーズン以上現役選手として球団に在籍した選手に、移籍権利などが認められた)を行使した国鉄の大エース・金田正一の獲得だった。対巨人戦で通算65勝(歴代1位)の金田の獲得は、川上の肝煎りだったという。2019年に他界した金田は生前、『週刊ポスト』の取材にこう明かしている。
「ワシが巨人へ移籍したかった以上に、川上さんがワシを欲しがった。川上さんは、ワシがライバル球団の中日に移籍することを恐れていた。直前のシーズン、国鉄で27勝を挙げていたワシが中日に行くか、巨人に来るのかでは大違いじゃ。9連覇の始まりは金田なくしてなかった。ワシが言うんだから間違いはない」
巨人に移籍後、金田は通算400勝の金字塔を打ち立てるが、その加入は単に“星勘定”のプラスをもたらしただけではなかった。チームの意識改革が進んだのだ。金田はこう振り返っている。
「巨人に移籍して一番驚いたのは食事だった。宮崎キャンプで、宿舎の『江南荘』で出された料理を見て呆れたね。冷めたトンカツが食卓に並んでいるのよ。すぐに川上さんに“私は自由にさせてもらう”と伝えたら、一発でOKとなった。川上さんも意識改革したかったんじゃないかな。
ワシは部屋でメシを炊き、鍋をして、温かい食事を食べた。いわゆる『金田鍋』じゃ。すぐに末次(利光)、土井(正三)といった選手が集まってきて、もちろん王や長嶋も来た。ワシは“食べないヤツは負ける”“健康でないと野球はできない”という信念を持っていたからね。キャンプでは、早起きして散歩で体を動かす習慣も導入させた」
川上の金田獲得によってチームの意識が大きく変わった。そのことはONも口を揃えて認める。
長嶋は「チームの雰囲気を作る大きなきっかけは、やはりカネさんの加入でしたね。ワンちゃん(王)とボクに練習はこうやるんだと教えてくれて、ONで率先してカネさんの真似を始めた。それを他の選手も真似して、相乗効果が生まれました」(『週刊ポスト』2015年1月16・23日号)と語り、王は「カネさんから学んだのは自分への投資でした。“野球選手は体が資本”というのがカネさんの哲学。有名な『金田鍋』もよくご相伴にあずかりました」(2014年9月19・26日号)と述懐している。
意識の変革はチーム全体へと波及し、V9の礎が築かれたのだ。
(第2回へ続く)
※週刊ポスト2022年4月22日号