『真田丸』で殺陣を担当した中川邦史朗氏の師匠である故・林邦史朗氏は、NHK大河ドラマの初期ら殺陣を担当している。他の時代劇に比べて大河は合戦シーンが多いが、どのように作られてきたのか。時代劇研究家の春日太一氏が、林氏の殺陣チーム「若駒プロ」の一員として携わってきた中川氏に、その秘話をう聞いた。
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中川:林先生が殺陣を教える俳優養成所に来ている方たちの中から「この子はできるから、今度の大河に連れてきて」と事務所に伝えて、技術があるメンバーを集めていました。ですから、合戦シーンの端役でもある程度は技量がある人が集められています。
──合戦での動きはどのように指示されていたのでしょう?
中川:何人かのグループに分かれて、そのグループごとに若駒アクション部が一人ずつ入って束ねていました。そしてモニターで確認しながら、「あそこはちょっとスピードがぬるいな」とか、「もうちょっと激しくやって」とか「あそこはもうちょっとカメラ方向に寄せて」とか、指示を出していくわけです。その上で束ね役が一人一人に動きをつけていきます。
基本的にカメラ前の目立つところとか、画面の手前は細かく殺陣をつけますが、奥のほうは割と自由にやってもらっているんです。それよりも、怪我のないようにすることが大事でした。
──そうなると、束ね役として前線に出向くお弟子さんたちの役割も重要になりますね。
中川:そう。分業作業でもあるんです。出演者の人数が一番多かったのが『葵 徳川三代』(二〇〇〇年)でした。
あの時は、うちのメンバー一人につき、十五人から二十人ぐらい束ねていましたね。「中川チームはあのへんあたりに行って」と指示をされたら、そこにエキストラの人たちを連れていって画を埋めていきました。
──個々の兵たちの戦闘での動きはどのようにつけられたのでしょう?
中川:「そういうふうに戦うよね」という、視聴者にとって理にかなうと思ってもらえるようなリアリティを大事にしていました。いかに危なくないように、リアリティを積み上げていくか。
たとえ、それが「作り物」だとしても、観ている人に「本物」と思ってもらえることが大事です。
「ああ、そうか、そうなるかもしれない」って視聴者を納得させられないと。それがないと、観ていても軍勢同士がバーンってぶつかり合うだけで終わってしまいますから。