2019年4月19日に起きた池袋暴走死傷事故から3年が経つ。会社員の松永拓也さん(35)は3年前のこの日突然、妻の松永真菜さん(当時31才)と娘の莉子さん(同3才)を失い、被害者遺族となった。
家族を亡くした深い悲しみを抱えながらもメディアやSNSで再発防止に向けて訴え続けている。誹謗中傷や二次被害にも苦しめられるが、松永さんの意志は揺るがない。
その強い「想い」はどこから生まれるのか。刑事裁判が昨年9月に終わり迎える初めての命日。家族3人が暮らした家で松永拓也さんに話を聞いた。
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部屋の隅には、片づけ途中の段ボールが置かれているが、リビングやキッチンは事故前とほぼ変わらない。莉子ちゃんのおままごとキッチンや絵本の棚はそのままで、壁には莉子ちゃんの描いた絵が貼られている。
部屋に入らせていただいてまず思ったこと、それは、家族があたたかく幸せに丁寧な暮らしをしていた気配が今も感じられるのだ。
「だからこそ、ここに来るのが最初はきつくて。ひょこって、真菜と莉子が出て来るんじゃないかなって。今でも片づけをしながら洋服やおもちゃとか見ると、『あそこに行ったとき着てたな』『これ、こうやって遊んでたな』って全部思い出すので、それはしんどいですけど・・・・・・。最近は、この家自体は、いると落ち着くようになりました」(以下カッコ内、松永さん)
時が経つごとに、愛するふたりの命がなくなったことへの受け止め方も変わってきたという。
「1年目の命日は、事故の起こった12時23分に現場で手を合わせたとき、この時間にふたりは亡くなったんだって実感し、涙が出てきました。『ああ、自分は無意識のうちに自己防衛のために考えないようにしていたんだな』と気づいたんです。
2年目はそれとはやっぱり違っていて、ただただ悲しかった。
3年目のいまは、刑事裁判が終わってから初めての命日です。どういう心情になるのかはわからないけれど、できる限り穏やかな気持ちで迎えられたらいいなと思います」
「時間が解決するよ」と言う人もいるが、心が事故前に戻り回復することは絶対にないと松永さん。松永さんが副代表理事を務める『一般社団法人 関東交通犯罪遺族の会 あいの会』の代表理事・小沢樹里さんは、よくこんな例えをするという。
A4の用紙が心だとしたら、事故や犯罪被害に遭うと、1回、ぐしゃっとつぶれる。その後シワを伸ばしていくのが、死別の苦しみと向きあうグリーフ(哀悼)という作業。でも、いくら伸ばしてもやっぱり元の用紙には戻らない。
「確かにそうだなと思います。少しずつシワが伸びてきているのかなという感覚はありますね。日にもよるんですが。昨日は慰霊碑のところに行って、一人で落ち込んでしまったり・・・・・・。ふたりは、僕が前を向いて歩いていくことを望んでいるだろうから、できるかぎり前を向いて歩いていけたらなと思っています」