北海道斜里町の知床半島沖で観光船「KAZU1(カズワン。1は本来はローマ数字)」が沈没した海難事故。悪天候が予想される中でなぜ出港を強行したのか、同船の運航会社「知床遊覧船」の桂田精一社長の責任が問われている。経営姿勢や危機管理の甘さを指摘する声は以前からあったというが、桂田社長とはどんな人物なのか。
事故が起きた4月23日、午前の時点で強風注意報や波浪注意報が出ており、地元漁師たちは長年の経験から危険を予測し漁に出ることを見合わせていた。しかし「KAZU1」は、同日10時にウトロ港を出港。子ども2人を含む乗客24人と乗組員2人のうち、4月27日までに11人が死亡、15人が安否不明となっている。
桂田社長は4月27日に記者会見を開き、「(当日の出港は)最終的に判断はすべて私」だと説明。当日午後からは荒れる可能性があると把握していたというが、午前の航行に関しては船長から「出港可能」との報告を受けたとし、自身もウトロ港の風や波の状況から「通常通り問題ない」と判断したという。
ただ、こうした桂田社長の言葉に、漁業関係者は首を傾げる。
「桂田社長が遊覧船を買い取ったのが6年前だといいます。自ら天気図も読めると言っていましたが、その程度で、多くの人の命を預かる遊覧船の出港を判断するために十分な知識や経験があったかは疑わしいところです。それに今回舵をとった豊田徳幸船長は水上バスなどの操縦経験はあるものの操船経験は浅かったようですから、船長を任せたという判断も疑問です」
桂田社長の経歴はこうだ。メディア関係者が語る。
「地元斜里町に代々伝わる家の出で、父はホテルチェーン『しれとこ村』グループの元会長、桂田鉄三氏。同町の町議も長年にわたって務めた地元の名士です。その鉄三氏の旅館業を引き継いだのが長男である精一氏ですが、それ以前は、陶芸家として活動していました。東京のデパートで個展を開いたこともあり、家業を継ぐために地元に戻るまではその道を進んでいたようです」