引退や解散を宣言するも、しばらくして華々しく復帰するという歌い手も少なくないなか、ちあきなおみだけは沈黙を守ったままだ。彼女が姿を見せなくなり30年、代表作『喝采』の発表から50年となる今年。もう彼女の歌声を聴くことはできないのだろうか──。
墓前には赤のカーネーションや白菊が入った仏花が供えられており、燃え切ったばかりの線香が墓参者のぬくもりを感じさせる。ここは歌手・ちあきなおみ(74才)の夫が眠る墓だ。最愛の夫が死を迎えるとちあきは表舞台から完全に身を引いたが、大切なこの場所を訪れることはやめていない。
「いまも定期的にお墓を訪れ、墓前で両手を合わせてそっと目を瞑り、長い時間を過ごされているちあきさんをよくお見かけします。こちらから声をかけることはしませんが、いくつになっても献身的な姿に胸を打たれます」(お墓を訪れた人)
1992年に最愛の夫・郷エイ(エイは金偏に英)治さんを55才の若さで亡くし、すべての活動を休止してからまもなく30年。伝説の歌姫はいま何を思うのか──。
近年、かつて彼女とともに同じ時代を歩んだ者たちが立て続けに旅立っている。昨年12月には、ちあきの大ヒット曲『四つのお願い』を手がけた作曲家の鈴木淳さん(享年87)が他界した。その1年前には『喝采』『夜間飛行』などを提供した作詞・作曲家で歌手の中村泰士さん(享年81)が逝去。2019年には芸名の名付け親である元フジテレビプロデューサーの千秋与四夫さんが亡くなった。
「特に第14回日本レコード大賞を受賞した『喝采』は、ちあきさんにとっても思い入れのある曲です。作曲者の中村さんは、喜寿を迎えた2016年に記念コンサートを開催し、その際、ちあきさんに祝福のコメントを依頼しましたが、彼女は『いまは一介のおばあちゃんだから』として、首を縦に振りませんでした。
近年は縁のある“盟友”が次々と鬼籍に入り、ちあきさんへの追悼コメントの依頼も多いようですが、彼女は頑なに沈黙を貫いています」(レコード会社関係者)
日本が学生運動に揺れた1969年、ちあきは『雨に濡れた慕情』でデビューした。その後も独特のハスキーボイスと抜群の歌唱力を駆使して次々と世にヒット曲を送り出し、「歌姫」の称号を得た。