昭和を代表するスター・橋幸夫が、来年5月3日をもって歌手活動にピリオドを打つ──。その知らせを聞いて居ても立ってもいられなくなったのが、『週刊ポスト』で「昭和歌謡イイネ!」を連載するクレイジーケンバンドの横山剣だ。
激しく妖しくも華やかだった当時の芸能界のあれこれを、橋と横山が振り返る。知られざる、あの国民的大ヒット曲の裏話や盟友・西郷輝彦との思い出など、心躍る秘話が飛び出した!【全5回の第1回】
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横山:実は、初対面となるこの機会に、僕から橋さんに、お礼を申し上げるべき件があるんです。
橋:えっ、何ですか?
横山:亡くなった僕の実父は、レコード会社の販促グッズ等を作る会社を営んでおりました。一時期、社業が傾きかけたんですが、取引先のひとつであるビクターから、同社に所属する橋さんの『霧氷』(1966年)をプロモーションする垂れ幕などの発注を受け、奇跡的に会社を立て直すことができたんです。
橋:はいはい。あの垂れ幕、業界じゃ「ふんどし」と呼ぶんですよね(笑)。
横山:だから、今日こうしてお会いできたことには、運命を感じます。
橋:そうだったんですか。それはそれは奇縁ですね。
横山:そして、橋さんの音楽は、クレイジーケンバンドの重要なルーツのひとつでもあります。1964年から、立て続けにリリースされた一連のリズム歌謡には、とても大きな影響を受けました。
橋:ああ、『恋をするなら』『恋のメキシカン・ロック』『あの娘と僕(スイム・スイム・スイム)』『ゼッケンNo.1スタートだ』『チェッ・チェッ・チェッ(涙にさよならを)』と続く連作ですね。
横山:ええ。あのリズム歌謡のシリーズは、一体どのようにして産声を上げたのかうかがいたくて。
橋:……それを話すとなると、僕のデビューまで遡ることになりますが、よろしいですか?
横山:もちろんです!
橋:長くなりますよ(笑)。