昭和を代表するスター・橋幸夫が、来年5月3日をもって歌手活動にピリオドを打つ──。その知らせを聞いて居ても立ってもいられなくなったのが、『週刊ポスト』で「昭和歌謡イイネ!」を連載するクレイジーケンバンドの横山剣。橋が横山とともに1960年代の芸能界を振り返る。【全5回の第3回。第1回から読む】
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横山:当時と現在の芸能界では、どんな点に顕著な違いがありましたか。
橋:1960年代は、いわゆるその筋の人たちが興行に関して権利を保有し、ショーの一切合財を仕切っていました。
横山:興行権の話は聞いていましたが、こうして橋さんから直接、お伺いすると、実にリアルです。
橋:強面の人たちが、年中堂々とレコード会社に出入りしていたんだから、おかしな世界でしたよ。
横山:コンプラの厳しい昨今では、考えられないですね。
橋:しかも、あの頃は警察の力が弱くて、何も手を出せなかったよね。警備のために地元の警官が会場の楽屋に来ると、ヤクザが「何しに来た。俺たちがいるから、警察なんていらねえよ!」とすごんで、追い返しちゃうんだから(笑)。
横山:何かトラブルは起こりませんでしたか。
橋:若き日の僕の身に降りかかった最大の災難が、1963年に起こった金沢での襲撃事件です。
横山:襲撃? おだやかじゃないですね。
橋:当時は、コンサートのクライマックスともなると、お客さんが舞台に上がってくるのが普通でした。ファンから、千羽鶴などのプレゼントを受け取ったりしてね。
横山:大らかな時代だったんですね。
橋:その回では、聴衆でごった返すステージ上に、ピカッと光る何かが目に入った。気がつけば、軍刀を手にした男が、僕に何度も斬りつけてくる。自衛のために強く刃を握り締めた後遺症で、僕の手には、いまだに曲げることのできない指があるんです。
横山:散々な目に遭いましたね。
(第4回へ続く)
【プロフィール】
橋幸夫(はし・ゆきお)/1943年、東京都荒川区生まれ。1960年に『潮来笠』でデビューし、日本レコード大賞新人賞を受賞。『いつでも夢を』、『霧氷』で2度の日本レコード大賞受賞。現在、“最後のコンサートツアー”で全国を回っている。
横山剣(よこやま・けん)/1960年、横浜出身。1981年にクールスRCのヴォーカル兼コンポーザーに抜擢されデビュー。1997年春、地元本牧にてクレイジーケンバンド結成。これまでに数多くのアーティストにも楽曲を提供している。
構成/下井草秀 撮影/内海裕之
※週刊ポスト2022年5月6・13日号