幼い頃に戦中、戦後を過ごした人に、思い起こされる「人生最初のごちそう」。 日本が決して豊かではなかった時代、“最初の晩餐”は何であったのか。当時のエピソードと ともに、思い出の料理を完全再現。“おいしい”の記憶と共によみがえる物語とは──。カレーハウスCoCo壱番屋の創業者の宗次徳二さん(73才)に聞いた。
空腹をしのぐための食事もすべて「おいしい」思い出
幼少期を児童養護施設で過ごした宗次さんは3才で養父母に引き取られるが、その生活は大変厳しかった。賭け事好きの養父は、日雇いで稼いだ金をすぐに使い切ってしまう。岡山県玉野市に夜逃げするものの、養母は夫に愛想を尽かして家を出ていき、養父と2人の生活が始まる。
米を食べられるのは3〜4食に1回ほどで、日頃の贅沢は卵かけご飯。空腹に耐えかね、うどん粉を練って焼いたり、イタドリという野草を食べたりすることもあった。そんななか、比較的お金があるときに食べたのがあじの塩焼き。1尾買って2人で分け合い、食べ終えた骨に湯を注いで、汁物として味わい尽くした。卵かけご飯の卵も養父と2人で1つ。かつお節を加えた溶き卵の上にご飯をよそうのが宗次さん流。「この方が食べやすいので、いまも続けています」と話す。
「何事も父が優先でしたから、私が食べるのは父の後。それでも嬉しかったし、特別おいしく感じました。終戦直後の当時は皆が貧しく一生懸命に生きた時代でしたから、父を恨んだこともないし、自分を不幸だと思ったこともない。むしろ、当時鍛えられた精神力が、その後役立ちました」(宗次さん・以下同)
貧困生活を過ごした岡山は、宗次さんにとって人生の記憶が始まった場所。いまもときどき足を運び、市内の学校に楽器を寄付するなど交流を続けている。
【プロフィール】
宗次徳二/1948年に石川県で生まれ、3才のときに宗次姓の養父母に引き取られる。高校卒業後は不動産会社に就職し、1978年に『カレーハウスCoCo壱番屋』を創業。53才で引退した後は、愛知県に建設した「宗次ホール」でクラシック音楽に浸る日々を送っている。
※女性セブン2022年5月12・19日号