幼い頃に戦中、戦後を過ごした人に、思い起こされる「人生最初のごちそう」。 日本が決して豊かではなかった時代、“最初の晩餐”は何であったのか。当時のエピソードと ともに、思い出の料理を完全再現。“おいしい”の記憶と共によみがえる物語とは──。『赤坂璃宮』オーナーシェフの譚彦彬さん(78才)に聞いた。
中華街の川でさばいた新鮮な白身魚を調理
譚さんが幼い頃の横浜・中華街は、現在の観光地とは程遠い、閉ざされた雰囲気の街だった。住人のほとんどが中国人で、多くが料理の道に進んだ。父親はラーメン店を営んでおり、「勉強をしないとコックになるしかないぞ!」と、ヤンチャな譚少年はよく説教されたという。
現在、中華料理の名店『赤坂璃宮』のオーナーシェフとして広東料理の真髄を伝える譚さんの「最初の晩餐」は、母親がよく作ってくれた広東の家庭料理、白身魚の蒸し物だ。
「母が中華街の市場でかさごやかれい、ハタを丸々一匹買ってきて、街を流れる川の側でさばくのをよく見ていたな。あの頃は川で生きた魚をさばいてから、家に持って帰って調理をしたものです」(譚さん・以下同)
今回は譚さんが実際に厨房に立ち、当時の母の手料理を再現してくれた。使ったのは当時もよく食べた、かさご。
「広東料理の基本であり、重要な蒸し料理ですが、家に蒸し器がなかったから、フライパンの中に皿を重ねて底上げし、蒸し器代わりにしてましたね」
蒸したかさごから出ただしと油を熱し、仕上げにかけると旨みが凝縮された香りが立ちのぼる。母の手料理こそ、譚さんが極める広東料理の原点なのだ。
【プロフィール】
譚彦彬/1943年横浜・中華街生まれ。新橋『中国飯店』で修業後、京王プラザホテル『南園』副料理長、ホテルエドモント『廣州』料理長を経て、1996年より『赤坂璃宮』オーナーシェフ(赤坂璃宮銀座店)。近著『広東名菜 赤坂璃宮 譚 彦彬の味』(世界文化社)。
撮影/市瀬真以
※女性セブン2022年5月12・19日号