松任谷由実の音楽を聴くと、そのときの自分、隣にいた相手、一緒に行った場所や会話まで思い出す。昭和、平成、令和のいまも、常に第一線で活躍し続けている彼女は、どんな道のりを歩んできたのだろうか。デビュー50周年を迎えるいま、彼女と親交のある人々の証言とともに、振り返ってみよう。【全3回の3回目】
2000年代以降 常に時代の一歩先を行き、コロナ禍でも未来を見据える
バブル絶頂期に製作された『私をスキーに連れてって』の主役には、原田知世と三上博史(年齢非公表)が起用され、スキー場で出会う男女の恋物語に。主題歌はユーミンの『サーフ天国、スキー天国』、挿入歌には『恋人がサンタクロース』や『BLIZZARD』が起用され、映画が公開されると、若者の間でスキーブームが起こり、ユーミンは、「若者のカリスマ」「恋愛の教祖」などと呼ばれるようになる。
1990年代以降になると、バブルが崩壊し、日本経済にかげりが見え始めるが、ユーミンはますます勢いを増していく。デビュー当時からユーミンと付き合いがある、音楽評論家で尚美学園大学副学長の富澤一誠さんはこう分析する。
「サウンドもどんどん洗練されて、気持ちを盛り上げるようなものが中心になりました。ユーミンの音楽を聴くと元気になる。時代が彼女をさらに求めるようになり、ドラマや映画、CMのタイアップもどんどん増えていきました」
そして、相変わらず最先端を行く彼女のファッションにも注目が集まる。ファッション評論家の生駒芳子さんはこう話す。
「ユーミンはパリやミラノの最先端モードとスポーティーでストリートなものを自在にミックスさせて、唯一無二のスタイルを確立させました。まさに彼女はファッションの魔法使い。こんな素敵な組み合わせができるのかといった夢があふれるようなスタイルを見せてくれ、誰もが魅了されたのです」
1990年代後半には“派手なことをするのが好き”なユーミンが新たな試みを始める。
「バブル経済崩壊で、日本中が落ち込む中、積極的にほかのアーティストとコラボレーションをするようになりました。当時はまだなかった新しい活動を始めたところが、一歩先を行くユーミンらしいと思いました」(富澤さん)