今もその対応に悩まされている新型コロナウイルスだけでなく、人類は様々な感染症とともに生きていかなければならない。白鴎大学教授の岡田晴恵氏による週刊ポスト連載『感染るんです』より、手洗いの徹底を最初に訴えたゼンメルワイスついてお届けする。
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新型コロナ対策ですっかり定着したのが「手指消毒」です。今週は、手洗いの徹底を最初に訴えた産科医の話をいたしましょう。
「産褥熱」は、分娩のときにできる産道の傷から細菌が侵入して起こる病気で、産後の母親が急に高熱を出し、腹膜炎や髄膜炎などを併発して重篤化する感染症です。今はそうではありませんが、昔は死亡率が時に3割を超える恐ろしい病気でした。
ゼンメルワイスは1818年生まれ、ウィーン大学で医学を学び、同大学第一産科に勤務し、そこでこの産褥熱の惨状に直面します。
当時のウィーン大学は第一産科(医師が担当)と第二産科(助産師が担当)があり、産科の診察と診療、学生の指導が行なわれていました。
彼はある日、病院の産褥熱の死亡統計を処理していて不思議なことに気づきます。この病気は圧倒的に医師が担当する第一産科に多く、助産師の担当する第二産科は少ない。両病棟の死亡数に明らかな違いがあったのです。隣り合わせに立ち、設備も構造上もほとんど差が認められない両病棟で、どうしてこれほどまでに犠牲者数に差が生じるのか。さらに、病棟での産褥熱の発生データを詳細に見ていくと、診察を受けたベッドの列ごとに患者の発生に差があることもわかったのです。
第一産科の医師は診察と診療のほかに、死亡患者の病理解剖も行なっていました。ゼンメルワイスは「死体を解剖したときに手についた毒素が、出産時の傷から入り込み、産褥熱を起こす」と考えました。
というのも、当時の医師は解剖後も手を洗わずに出産に携わっていたからです。細菌やウイルス等が感染症を起こすという発見はされておらず、病原微生物の概念がない時代でした。
ゼンメルワイスは洗面器に塩素水を入れ、病棟の前に立って監視しながら、医師に手洗いを徹底させます。この効果は絶大で、第一産科での産褥熱の発生率は激減したのでした。