手頃な価格の駄菓子は、いつの時代も子供たちの味方だ。砂糖、小麦粉といった原料や梱包資材、輸送代は値上げの一途を辿るが、駄菓子業界の大人たちはギリギリの薄利で今日も作り、売り続けている。苦境の中でも職人の手作業にこだわり、専業工場でそれぞれ「麩菓子」「きなこ棒」のみを製造する下町の2軒を訪ねた。
「駄菓子」が誕生したのは江戸時代。砂糖が贅沢品であった頃、未精製の黒糖などを原料とし、庶民も入手できる価格で販売された。当時は1文(現在の価値で約20~30円)で買えるため「一文菓子」との別名を持ち、厘、銭、円と貨幣単位が移っても、低い価格設定はそのまま今日に至る。
ここ数十年で大きく変わったのは、作り手の顔ぶれだ。一製品のみ担う職人的な駄菓子工場が、後継者不足や売り上げ低迷で次第に勢いを失い、複数の製品を並行して大量生産しコストダウンを図る大手メーカーへと主流が移りつつある。今回紹介する「麩菓子」「きなこ棒」を製造する2軒は、そんな中でも奮闘する専業工場だ。
麩菓子(鍵屋製菓)
毎朝7時から本格稼働に入る鍵屋製菓。出来立ての麩菓子が、夕方4時までベルトコンベア上に延々と連なる。麩菓子は衝撃に弱く、コンベア上ですでに割れているものも。欠けの生じていない麩菓子のみ選別したのち、梱包担当のスタッフ6人はひたすら袋詰め作業に没頭する。
1日の生産量は約4万本。嵩のある菓子だけに、麩菓子の詰められた段ボールは倉庫スペースで山をなすが、問屋のトラックが横付けされた瞬間、あっという間に空っぽとなった。
24年前に父の跡を継ぐべく入社した根本和浩さん曰く、「新規の問屋から取り引きをお願いされるが、工場にはこれ以上マシンを追加できず、生産数に限界があって受け入れ難い」。