放送作家、タレント、演芸評論家で立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、上島竜兵さんへ捧げる一句と、ロスを乗り越える笑いについて綴る。
* * *
「どうぞどうぞ」と言われて人のいい上島竜兵は先に逝ってしまった。東京笑芸界はすっかり竜ちゃんロスである。
あの時代、天下をおさめるビートたけしの命により、兵隊達はひとつでも多くの笑いを獲るため、その文字通り“必死”であった。「たけし軍団」「ダチョウ倶楽部」「出川哲朗」。彼らは愛する殿のため、身体を張った。いつしかそれが“リアクション芸”と呼ばれ、ひとつの「芸」のジャンルを確立した。“テレビ芸”としてもてはやされもした。
が、しかしおかしな世論はうつろいやすい。今の時代“痛い”“つらい”芸はNGなんだとか。住みにくいブラウン管になってしまった。すっぱだかになって逆バンジーで天国まで飛んでゆく。そんなスカッとしたバカバカしさはもう見られない。竜ちゃん、永い間おつかれさまでした。コメディアン(笑芸人)の死は笑わせてくれた分量だけ悲しみも大きい。竜兵の「兵」は “つわもの”と読む。竜のごとき笑いのつわものが竜兵なのだ。
こんな句だけどいいかな。
“熱湯風呂 兵(つわもの)どもが 夢の跡”
☆ ☆
湿っぽいのはもういいや。世間を見れば暗い話、辛い話ばかり。せめて「笑顔」になってもらうため笑いのタネを量産していくのが我々の稼業。天職といってもいい。ラジオ、テレビ、活字、舞台。様々なものを使って笑ってもらう。批評だの評論、SNSで文句なんてバカでも言える。芸術学士(日芸の)としてはクリエイティブだけが正道なのだ。