【1993年の小沢一郎・連載最終回】非自民連立政権をついに実現した小沢。しかし、壁を壊したその「剛腕」は、あちこちに大きな歪みを生んでいた。ジャーナリスト・城本勝氏がレポートする。(文中敬称略。第1回から読む)
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誕生会
一九九三年八月二五日夕刻。東京・日比谷の富国生命ビル地下二階の「藪蕎麦」で、番記者主催の羽田孜誕生会が開かれていた。細川内閣で副首相兼外相に就任し、前日に五十八歳となった羽田は、トレードマークの半袖スーツ「省エネルック」で挨拶した。
「何としても政治改革を成し遂げるという思いで自民党を飛び出したが、よくここまで来た。寄せ集めでバラバラだという批判もあるが、志を一つにすれば心配ない。マスコミの諸君も悪口もいいが、たまには激励もしてくれよ」
いつもながらの熱い「演説」に記者たちも拍手で応えた。
気難しい政治家が多い竹下派の中では、庶民的でフランクな羽田は担当記者の間では断トツで人気があった。藪蕎麦で恒例となっていた記者主催の誕生会も年々参加者が増え、経済部や派閥担当以外の記者もいて四十人以上が集まっている。決して広いとは言えない店内は、満員の状態だった。
壁際の小上がりには私より一回りも先輩のベテラン記者たちが陣取り、そこは「長老席」と呼ばれていた。私は、羽田の話もさることながら「長老記者」たちの政界裏話や政局の見立てを聞くのが楽しみだった。
お酌をして回りながら話を聞いていると、みな細川政権の先行きには悲観的だった。
「羽田さんは楽観的だが、イッちゃん(小沢一郎)と武村(正義官房長官)は水と油だ。権力の二重構造どころか三重構造になるとまとまらないな」
「問題は武村氏が、反小沢のシンボルになっていることだ。小沢氏が『官房長官は勝手なことを言いすぎる』といくら怒っても、相手は毎日記者会見や懇談をやっている。小沢氏は、記者会見以外一切しゃべらない。結局マスコミを敵に回すだけだ」
「イッちゃんは、朝回り夜回りも受け付けないんだって? そりゃ情報戦で武村に勝てるわけがない。政治記者にとっては情報をくれる政治家がいい政治家だからな」
一番年かさの記者が言った。
「おいおい、今日は羽田さんの誕生会なのに小沢の話ばかりかい。羽田、小沢の関係がしっかりしていれば大丈夫だろう。いや、それが一番の心配事か」
皆で大笑いしたが、私は若い記者たちにビールを注いで回り談笑している羽田を見ながら、確かにそれもこの政権の行方を左右しかねないという予感がしていた。