都会の喧騒を離れて、地方都市に移住した──そんな願いを持っている人も少なくないだろう。女性セブンの名物ライター“オバ記者”こと野原広子さんが、東京から佐賀減唐津市に移住したネットニュース編集者の中川淳一郎さんのもとを訪れた。移住生活のリアルはどうなのか? オバ記者が中川さんの唐津生活に迫る。
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「こんなところが日本にあったんだねぇ」と何回言ったことか──。
ライターという仕事がら、日本全国いろんな土地を訪れたけど、2泊して帰京して、2週間もたたないうちにまた行きたくなって、居ても立ってもいられず航空券を予約した、なんてところは初めてよ。
そう、私がGWに続いて再訪した佐賀県唐津市の話。
そもそもは、貯まったマイルを航空券に換えてくれる「どこかにマイル」というJALのサービスで北九州往復チケットが当たったから。「北九州」で思い出したのが、ネットニュース編集者で旧知の仲の中川淳一郎さん(48才)。そういえば彼の移住先が佐賀県だったっけと思い出して、急に会いたくなったの。唐津とか佐賀に関してはその程度の興味だった。
いまだから言うけど、2年くらい前に彼から「移住する」と聞いたときは、絶対うまくいきっこないと思ったもの。それが1年半も住んでいる。どういうこと? その話を聞きたかったわけ。
というのも、私も昨年の夏から冬にかけて、母親の介護で茨城の実家に“移住”していたから(18才で上京して以来、東京暮らし40年超の私にとっては、里帰りというよりは“移住”)。
そこは生まれ育ったところだから、悪いわけがない。人の情も身に染みるし、介護・医療関係者のやさしさには何度も胸が熱くなった。それから、筑波山麓の朝晩の景色のすばらしさね。あれがどれだけシモの世話の苦痛を和らげてくれたことか。
だけど、じゃあ、母親を看取ったいまもそこに住みたいかというと、う~ん……腕組みして考えちゃう。ましてや、縁もゆかりもない土地に移ったらどうなるか。移住なんてそうそううまくいくもんじゃないと思っていた。
でも、中川さんが待ち合わせ場所に「オバ記者~」と手を上げて現れた姿を見た瞬間から、私の予想が完全に外れたことがわかったね。元気はつらつ。顔に屈託がない。
聞けば、唐津市は九州の中でも台風直撃の少ないところで、一日の寒暖差が少なく、そのせいかどうか、びっくりするほど人が穏やかで、私のようなよそ者に対して垣根が低いんだわ。
地元でみかん農家をしながらロックバンド活動をしている山崎幸治さんは、海辺のキャンプ場の芝生で私が「ここで寝そべってラブラブの写真を撮りたい!」と言うと、すぐにノリノリで応えてくれた。