新作映画『死刑にいたる病』(原作・櫛木理宇、主演・阿部サダヲ)が大ヒット中の白石和彌監督。近年では小説をもとにした作品が続いているが、監督として知られるきっかけとなったのは、上申書殺人事件を取材した『凶悪』や、北海道警の不祥事をつまびらかにした『日本で一番悪い奴ら』など、ノンフィクションを題材とした作品だった。そんな白石監督に、ノンフィクションをフィクションとして描く際の工夫や、ノンフィクション作品の魅力を聞いた。
「ノンフィクションを読むことは多いです。真実は小説より奇なりっていう言葉の通り、こんなことがあるんだ、っていう驚きがあります。創作した物語は完璧な物語になりますが、実際に起こった事件って、なんでここでこんな凡ミスしたの? みたいなことがある。それがすごく人間的で面白い。そこを自分なりに映像として作品にするときに、作家としての視点を入れていったり、描き方次第で色んな角度で表現できる。
でも最近、事件の記事や書籍そのものが減っていますよね。ある出版社の方も『労力がすごくかかる割に読まれない』とおっしゃっていました。よほど有名な事件でなければ、という感じなら、それは非常に残念だなと思っています」
──実話をもとにして物語を作るとき、その実話と創作のバランスは、どのようにして取られるものなのでしょうか。
「その事件独特の、何か核になるものとかを基本的にはねじ曲げないようにはします。ただ、事件自体が面白くても、よくよく調べていけば、関係した人物のキャラクターが普通の人だった、ってこともままあることなんです。僕たちがその事件をもとにどういう映画を作っていくかっていうことの逆算で、キャラクターを造形することが結構多いかもしれないです。
いくらノンフィクションを題材にしているといっても、映画に落とし込む瞬間、どこかでやはりフィクションにはなっていくので、そこの難しさは感じていますね」
──原作のノンフィクションを読んだ人にとっても、面白かったなと思ってもらえるような工夫が必要になるということですか。
「それはあると思いますね。また逆に作品を観た人が、原作を読んでみようかなっていうふうに思えた方が絶対いいので。そうなるように、説明しすぎないとか。でもそれは小説も一緒ですね。
映画って、2時間という尺の中に収める以上、説明を省いていかなきゃいけない部分がどうしても出てくる。そういう時に多少、事実と違うところは出てきちゃうかもしれないですね。
あと事件によっては当事者がいらっしゃることもあります。被害者遺族に会えたとしても映画にすることを全て許して頂くことは難しいことも多いです。その場合、関係する部分は名前を変えて架空にしたりすることもありますし、全く違うエピソードに置き換えることも多々あります」