ユニセフ(国連児童基金)の親善大使を務める黒柳徹子(88才)がこれまでに訪れた国は延べ40か国近くに上る。干ばつや貧困に苦しむアフリカの国や、大量の地雷が埋められた紛争地域、無政府状態が続く破綻国家──危険を顧みず、子供たちに寄り添う活動を続ける黒柳には心強い“同志”がいた。
6月1日に亡くなった写真家の田沼武能さん(享年93)がその人。田沼さんは写真界の地位向上に尽くした文化勲章受章者で、黒柳のユニセフの視察に同行したジャーナリストとしても知られる。その田沼さんが昨年、『女性セブン』記者に黒柳との思い出を語っていた。
田沼さんは、黒柳の行動力や胆力に舌を巻くことがたびたびあったという。
「彼女は、どんなひどい紛争地や貧困地域に行ってもいやな顔ひとつせず、誰とでも対等に話すんです。大統領や政府高官とも物怖じせずに交渉するし、アフガニスタンでタリバンの幹部に面会して、難民キャンプの女性が教育を受ける許可を取りつけたこともありました。女優をやっているから『怖がらずに、堂々とする“演技”ができる』と言ってましたね」(田沼さん・以下同)
35年間にわたって行動を共にした2人が、ユニセフの活動で最後に訪れたのは2019年のレバノン。田沼さんが90才のときだ。
「写真家は1に体力、2に体力(笑い)。黒柳さんも普段からスクワットで鍛えて、車椅子に乗ってでも舞台に出たりしていますからね。戦中派は根性が違うんです。倒れても、車椅子に乗っても、まずは人の手を借りずに自分でどうにかしないといけないと考えますから。次はいつ行くんだ?と聞いたら、コロナが落ち着いたらまた行こうって言ってました。順調にいけば秋頃かな」
そんな黒柳の盟友の田沼さんだが、彼でも解明できなかった謎がある。
「あの人、どんなに暑いところに行っても、それこそ砂漠に行っても、一滴も汗をかかないんです。いつも長袖着てるのに、あれはいまだに不思議だなあ(笑い)。僕は彼女の口から泣き言や、弱音を聞いたことは一度もありません。今後も本人がやりたいと思う限り、世界中の子供たちのために活動を続けていくと思いますよ」
田沼さんの訃報に触れた黒柳は、6月4日付の朝日新聞デジタルの取材にこうコメントしている。
「亡くなったのはショックです。田沼さんがいたので今までやってこられた。いらっしゃらないとなると、どうしようかと思ったりしています」
それは彼女がはじめて口にした“泣き言”だったのかもしれない。
※女性セブン2022年6月23日号