思い出したように現れるのが“逃亡犯”のニュース。フリーライターの高橋ユキさんが今月上梓した『逃げるが勝ち 脱走犯たちの告白』(小学館新書)には、近年、新聞やテレビで騒がれ、私たちの記憶に新しい逃亡犯たちが何人も登場する。
2018年に大阪府富田林署の面会室のアクリル板をずらして逃げ出し、自転車旅のサイクリストを偽装して1か月以上も捕まらなかった山本輝行受刑者(当時30才・仮名)や、同年、愛媛県今治市の塀のない松山刑務所(大井造船作業場)から脱走して島に潜伏、さらには瀬戸内海の尾道水道を泳いで渡った野宮信一受刑者(当時27才・仮名)などだ。
富田林署から逃走した山本には目的がなかったというが、塀のない松山刑務所から逃げ出した野宮の場合は違っていたという。
「彼は、更生のために集団生活をしていた寮の中の、受刑者たちによる組織『自治会』をめぐる軋轢に不満があったようで、寮内の規律の不徹底を広く世間にアピールして、松山刑務所の状況を改善するために逃げたと主張していました」(高橋さん・以下同)
松山刑務所を脱走した野宮は、向島(広島県尾道市)に逃げ、島の空き家を転々としながら潜伏生活を送った。空き家には、食料が残っていた。
《そうめん、米、さば缶(中略)賞味期限は9割の物が切れています。一番ひどいのは、2001年に切れてた物も。ほとんどが5年以上前に切れてます。食べないとどうしようもないので、火を通して食べてました。腹痛は1回だけありました》
広島・愛媛の両県警は延べ1万5000人もの捜査員、16匹の警察犬、ヘリコプターまで投入しながらも、彼の行方をつかめなかった。
「潜伏先の向島では、たしかに大規模な捜索が行われていました。ただ、捜索は昼間だけで、夜は自由に動き回れた。警察が捜索を終えた空き家に『(捜索)済み』のシールを貼っていて、野宮が潜伏していた空き家にもそれは貼られていました。“安全な空き家”を示す目印をつけてしまったことで、逆に逃亡犯が潜伏しやすい環境をつくってしまった」