放送作家、タレント、演芸評論家、そして立川流の「立川藤志楼」として高座にもあがる高田文夫氏が『週刊ポスト』で連載するエッセイ「笑刊ポスト」。今回は、おでんリアクションの元祖、片岡鶴太郎について綴る。
* * *
朝の連続ドラマ『ちむどんどん』にも出ているが、今やイメージとしてアーティストとかヨガをきわめる“ヨギー”としての方が有名な片岡鶴太郎。一人者にも馴れたようだし一体どんな暮しなのかきいてみようと思ってラジオのゲストに来てもらった。
今や誰も物真似を振らないらしいが、私の前だけでは昔のままの鶴太郎で何でもやってくれる。昼の12時からの出番だというのに「高田センセの前じゃ万全にと……逆算して昨晩10時に起きて7時間ヨガやって、朝ゴハンは葉っぱ食べてここへ来てんですから……もう眠くなっちゃった」。何かにとりつかれたかのように昔なつかし「マッチでーす」から「コ、コ、コモリのおばけちゃまよ」「チョーチュネ」(具志堅)ヒットフレーズの大連発に大爆笑。
終了後、番組にはメールがたくさん。「今やツルちゃんのものまねを聞けるのは“ビバリー昼ズ”(ニッポン放送)だけですネ」「たけしのオールナイトニッポンを思い出しました」。
初期の頃、たけしにも私にも弟子なんてものがいなかったから、いつもツルちゃんを連れて歩きタバコ買ってこいやらナンパしてこいやら。「タケちゃんマン」の中で私が茶の間のシーンを書き「たけし、子分のツルに小言、いじめる」と書いておいたら、美術さんが気をつかい「本番」の声で熱々のおでんをセットに入れた。
笑いのためなら命のひとつやふたつはいらない「笑いのS王」たけし。本番でいきなりおでんをツルの にピタッ。「アッチチ~~」。これだけでもとんでもないことなのに、“おタマ”をとっておでんの出汁をシャツの中にたらした。「アッチーーーッ」。ディレクターも私もこの地獄の光景に死ぬかと思うほど笑った。この日から「おでん」「リアクション」は鶴太郎からたけし軍団、ダチョウ倶楽部、そして出川哲朗へと正しく受け継がれ、東京の笑芸におけるひとつの「伝統芸」となった。