全米屈指の犯罪都市でもあるロサンゼルス。そこで警察官として日夜、公務に励む日本人女性がYURI(永田有理)さんだ。34歳の時に現地のポリス・アカデミー(警察学校)に入学して警察官になったというが、どんな経緯があったのか。日本に7年ぶりに一時帰国したYURIさんに話を聞いた。【前後編の後編。前編から読む】
警察学校を卒業できたのは60人中18人
──そもそもYURIさんはなぜアメリカで警察官になったのですか。
YURI:高校卒業後に渡米して、語学学校を経て現地の大学に進学しました。当時はプロのダンサーになる夢がありましたが、在学中にアジア系アメリカ人の男性と出会って学生結婚。7年間の専業主婦生活を経て離婚しましたが、高卒でバツ1のシングルマザーが日本に帰国してもまともな仕事につける気がしなくて、ロスで職探しを始めました。当時はロスに初めてできた「カレーハウスCoCo壱番屋」の1号店でも働きました。
私は昔から「人の役に立ちたい」との人生の目標があり、定職を探す最中に「警察官になりたい」との気持ちが芽生えました。それで猛勉強をして現地のポリス・アカデミー(警察学校)に入校したんです。
──ポリス・アカデミーでは屈強な教官に厳しく鍛えられたそうですね。
YURI:ほとんど軍隊でした。自宅から通いましたが、朝5時にはグランドに行き、直立不動で整列しなくてはならない。落ち着きがない者は警察になれないとされ、整列時には眼球を動かすことも禁じられました。最も鍛えられたのはメンタルで、顔の先2センチまで教官の顔が迫り「お前はクソだ、帰れ!」「お前なんて警察になれるわけがない!!」とひたすら罵倒されました。誰かがミスすると連帯責任で全員が腕立て100回。6か月後に晴れて卒業できましたが、60人いた同期生は18人になっていました。
そこまでハードに鍛えられたのですが、アカデミーを出て1年目の勤務では精神面をやられました。大きかったのは遺体をたくさん見たことです。知り合いが殺害されたり知っている人が自ら命を絶ったりという出来事も相次ぎ、心の平静を保つのが大変でした。
ただ私は人間の死に慣れてしまって当たり前のこととして流すのではなく、ひとりひとりの死をしっかりと受け止めたいと思っています。だから毎回、ダメージを受けてしまう。心の傷を負った時は、自宅近くにある大好きな海を見に行って癒しています。
──危険な任務ゆえ、葬式用に正装した写真を撮り終え、葬儀の内容も決めているとか。
YURI:そうですね。でも誰しもいつかは亡くなるので、生命保険に入るのと葬式の準備をすることは同じです。それにアメリカでは業務中の警察官が亡くなる確率よりトラック運転手が亡くなる確率のほうが高い。そう考えたら、“今日撃たれて死ぬかもしれない。怖い怖い”なんて気持ちはなくなります。どうせ誰もが死ぬなら、私はやりたいことをやって死にたい。たとえ凶悪犯に殺害されようとも、誰かを救って殉職するならそれで構いません。