6月末、スペインで開かれたNATO(北大西洋条約機構)首脳会議に初めて出席した岸田文雄首相と、韓国の尹錫悦(ユン・ソクヨル)大統領。韓国政府によると、両者が現地で初めて挨拶を交わした際、尹大統領は岸田首相に「参院選が終わった後に韓日関係の懸案を早急に解決し、未来志向的に進む考えを持っている」と述べたという。
今後は尹大統領が打ち出す「未来志向」の政策に注目が集まるが、一方で、「過去」にどう向き合うかも問われている。日本との歴史問題だけではない。実はこの数年、韓国国内ではベトナム戦争(1975年終結)当時の韓国軍による「加害」の問題も浮上してきているのだ。
第二次世界大戦後、フランスの植民地だったベトナムは独立をかけて旧宗主国フランスと戦った(第一次インドシナ戦争)。その結果、ベトナムはソ連などが支援する共産主義国家・北ベトナムと、米国ら自由主義陣営が支援する南ベトナムに分断され、対立。1960年代からはアメリカの軍事介入により、本格的な戦争に突入した(ベトナム戦争)。
そこに米国の同盟国として参戦したのが韓国軍だった。韓国はベトナム参戦による特需で、朝鮮戦争による焦土からの復興を成し遂げたが、その一方、戦場となった南ベトナム(当時)の各地には悲劇がもたらされた。韓国軍兵士が農村を中心に展開した作戦の中で、子供や女性、老人を含む多くの民間人が殺害される事件がいくつも発生していたのだ。
長年、ベトナムで戦争の痕跡や被害者らの証言を取材し続けるフォトジャーナリストの村山康文氏が言う。
「これまでにベトナムのメディアや外国人ジャーナリスト、研究者らの調査がいくつか実施されていますが、ベトナム戦争中に起きた韓国軍による民間人殺害事件の全容はいまだ不明です。たとえば、韓国人の女性研究者、ク・スジョン氏の調査によると、事件は当時の南ベトナムで80件余り起き、 犠牲者は9000人以上とされています」
この問題をめぐり、韓国社会に激震が走ったのは今から1年ほど前、2021年3月のことだった。ベトナム戦時下、中部のフォンニ村・フォンニャット村で民間人74人が殺害された事件について、韓国大法院(日本の最高裁にあたる)が韓国の国家情報院(国情院)に情報公開を命じる判決を下したのだ。